わたしも一言

リレーで発言
@‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥西原恒夫 (安佐地区九条の会事務局)

何万人もの人々が参加しはじめた草の根のデモに思う

「原発ゼロ」求めるデモ
「原発ゼロ」を要求して、毎週金曜日に首相官邸や国会にデモをかけている大衆行動に、さまざまな評価が下されています。消費税増税などで「民意が裏切られっぱなし」と悲観的になっていた大衆が「原発ゼロ」の一点で、10人寄り、20人集まりして、ついには何万という「民意」の渦となってデモっているのです。
60年安保の頃の労働者・学生は今いずこ
そういえば、いつの頃からか、日常的にデモを見ることがなくなっています。労働者はデモもストライキも忘れたように見えます。あの頃の労働者はどこに行ってしまったのでしょうか。60年安保で活躍した学生はどこへ姿を隠したのでしょうか。ともすれば党派性をむき出しにした彼らの存在は、運動を矮小化させた面もありましたが、“時代の前衛”としてリードしていたことを否定しません。しかし、彼らは事実としてその看板を下ろしてしまいました。
社会を変え得る、草の根の人たちが参加するデモ
首相官邸前で繰り広げられるデモは、以前のそれとはまったく違います。それぞれに自前のプラカードを持って行進している人の中には、勤め帰りのサラリーマン、自営業者、はたまた主婦や子供の姿も見えるくらいバラバラです。みんな個人として自然発生的に参加しているからすごいんです。組織されたデモにはわたしも参加したことがありますが、これほどの怒り、エネルギーは湧いていたかどうか。野田首相がシブシブ、デモ代表との面会に応じたのも「放置してはヤバイ」と直感したからにちがいありません。運動に草の根の人たちが加わってくるのは。社会を変える過程なら最終段階じゃないでしょうか。評論家の柄谷行人さんが「デモで社会は変わる。デモをすることで『人がデモする社会』に変わるからだ」と評していますが、代議制民主主義の「選挙でしか民意は表明できない」意識の壁をぶち破る結果をもたらすかも知れませんし、是非そうあってほしいと思います。
この広島で、安佐地区でも、呼応した運動を
九条の会結成時に、組織を持たない大江健三郎さんら九人の呼びかけ人が「九条を守る」一点で結集を呼びかけたのと酷似しています。この芽を大事にしたいし、広島で、安佐南区・安佐北区で、これに呼応した動きがあってもいいのじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
知恵をお貸しください。
(小見出しはページ編集部)


2周年記念集会(2009年5月9日 祇園公民館)への呼びかけ人メッセージ
呼びかけ人名
(順不同)
メッセージ
土井 作治 急に京都大学での実学史研究会に参加が決まりましたので失礼します。 憲法9条は、日本の、世界の宝ものです。武力によらない平和を実現するために衆知を集めて、しっかりと護り抜きましょう。
坂田 允代 引き揚げ者として苦労して帰国したことは忘れられません。それ以来憲法に守られて生きてきたと思っています。戦争は二度としたくありません。
山手 巧 子孫のために力強くがんばりましょう。
坂本 裕 ソマリアの海賊問題でも、北朝鮮の問題でも、日本が、その持っている最大の強み=平和憲法を活かす取り組みをすることで、世界に大きく貢献できます。 それなのに、その最大の強みを活用するどころか、逆に痛めつけて軍隊を送るなど、もったいないことです。 2周年集会が大成功して、平和憲法が輝きを増すようがんばります。
加川 勲 改憲の動きが急浮上しています。国民投票法施行を一年後に控え、さらには、ソマリア沖海賊、北朝鮮のミサイル問題など、演出まがいとも云えるような「現実の脅威」の中で手ぐすねを引いたような動きです。これに負けることなく、遅れることなく、「9条守ろう!」の大きな輪をつくっていくことの重要さを痛感しています。
丸山 弘子 ソマリア沖派遣の自衛艦に武器使用を認める「海賊対処」派兵新法案が衆院で可決。憲法破壊への道を押しすすめようとしている国の姿勢を見る今こそ、世界にほこれる日本国憲法第九条を守り抜こうではありませんか。 星の数ほど九条の会を!
丸屋 博 残念ですが、今年は総会に参加出来ません。
林 辰也 ご盛会を祈ります。
屋敷 一字・孝子 今日の参加者1人1人が、九条の会を広く多様に広げていきましょう。自分が参加しているサークル、団体の中へ、そして中学校区、小学校区にも……。
宗藤 尚三・信江 憲法前文で示されている「恐怖と欠乏から免れる」平和的生存権が保障されるために、憲法第9条と第25条が一つに結ばれることを願っています。
水野 澄雄 体調不良のため欠席します。
切明 千枝子 憲法九条はもう古い、日本も交戦権を持つ普通の国にという人がいますが、私は世界の最先端を行く憲法だと思います。武力で真の平和は得られません。九条の精神を世界へ広める努力をしましょう。
権藤 郁男 自民、公明の政府与党は、集団的自衛権の合法化をめざしています。 9条の会の活動を飛躍させましょう。
                                                      

9条世界会議に参加してきました(5月4日〜5日 幕張)
・・・・・・・・・・・・・ 広島共立病院 職員(健診課) 市野芙美子

世界の人が価値あるものと評価している憲法九条を決して変えてはいけないと強く思いました

◆9条世界会議に参加して、世界の人の声を聞き、日本の9条の価値・意義・役割について学んできました。「9条はすばらしい、9条を世界文化遺産に、9条をもっと輸出せよ」との声がありました。また、戦後、9条は日本だけでなく、アジアの地域の平和も守ってきたとの発言もありました。世界の人が価値あるものと評価している憲法九条を決して変えてはいけないと強く思いました。一方、「なぜ9条があるのに自衛隊を持っているのか」なぜ日本には9条があるのに米軍駐留を許しているのか」という疑問が投げかけられました。この問いに私たちはちゃんと答えることができるでしょうか。9条について、戦争について、もっと一人ひとりが考える必要があると思いました。また、戦争はしない、戦力は持たない、と9条で誓っているのに、現在、戦争をする準備が着々と進められています。例えば、教育基本法の改正、国民投票法の制定、米軍再編などです。過去の戦争で多くの教訓を学んだにも関わらず、また同じことが繰り返されようとしています。唯一の被爆国である日本には大きな役割があると思います。もっと毅然とした態度で戦争は反対だということを世界に発信していく責務があると思いました。

◆次に、元GHQ憲法起草者のベテア・シロタ・ゴードンさんのお話を聞きました。ゴードンさんは男女平等についての条項(第24条)を担当した方です。7日間で草案を作るよう命令され、図書館へ行き、朝から晩までいろいろな国の憲法を読み、たくさんの資料を集めたそうです。そうした上で、今の日本国憲法の草案が作られました。「憲法にはいろいろな英知が詰まっていて、決してアメリカからの押し付けとは言えない」とゴードンさんは述べられました。また、「たとえ、アメリカからの押し付けであっても、良いものはこのまま残しておけばいいのではないか」とも言われました。

◆2日目は、環境からみた基地問題という分科会に参加しました。米軍基地は自然環境にさまざまな悪影響を及ぼしていることを知りました。沖縄では辺野古沖にヘリポート施設の建設計画が、また横須賀では原子力空母母港化の工事が進められています。辺野古はジュゴンの生息地で、このまま計画が進めば沖縄ジュゴンの絶滅が危惧されています。そればかりでなく、基地の騒音や光、基地から排出される有害汚染物質の悪影響も問題になっています。横須賀では相次いで背骨の曲がった奇形のハゼが確認され、その体内から有害物質のPCBや鉛、ヒ素が高濃度で検出されています。もし、大地震が起これば、原子炉の暴走につながる事故が発生する危険もあります。今まで、沖縄・横須賀が抱えている基地問題についてほとんど知りませんでした。自分の無知・無関心を反省しました。自分の住んでいる周辺が汚染され続ければ、誰でも嫌なことと思うし、みんな反対すると思います。基地周辺の人たちだけの問題ではなく、みんなが関心を持たなければいけないと感じました。

◆3日目は、靖国神社と遊就館を見学してきました。靖国神社に一歩入ってみると、独特の静けさ、緊張感がありました。警備の人が立っていたり、監視モニター室があったり、神社の裏の壁には有刺鉄線が張られていたりと、普通の神社とは違う点がありました。靖国神社には戦争で亡くなられた246万6000柱の尊い命が祀られています。特攻隊員の青年の遺書や顔写真を見るととても胸が痛む思いでした。戦争で亡くなられた方の命を無駄にしないために、2度と戦争を起こしてはいけないと思いました。ただ、遊就館の展示物や映像を見て、戦争の解釈の仕方が偏っているなと感じました。戦争についてのビデオ上映では、「アジアの平和を守るために戦争をするのは仕方のないことだった」「中国人のスパイが盧溝橋事件を引き起こした」というような表現がされていました。日本軍のしたことや戦争が正当化されていて本当に驚き、違和感も感じました。

◆この3日間、9条・平和について多くの知識を得ることができました。世界の人は「自分の国にも9条が欲しい」と言っていました。たくさんの人が欲しがっているこの9条を日本は捨てることなくずっと持ち続けるべきだと改めて思いました。




憲法九条は、悲惨な死を遂げた少女たちが自分の生命と引き換えに私たちに贈ってくれた尊い賜り物
被爆者・広島花幻忌の会会員 切明千枝子

・・・・・・ ★2007年10月28日、広島医療生協主催のいきいき健康カーニバルでの訴えから★

■皆さま、こんにちは。健康カーニバルという楽しい賑やかな集いの席で、今日、私がお話するのは悲しくてむごい話なので、ちょっと場違いかなと思うのですが、健康も平和な世の中であってこそのもの、命があってこそのもので、戦争などで生命を奪われたのでは、健康も何もあったものではありません。ですから、今から私がお話することも、健康と無縁のものではないと思いますので、どうかお聞きください。

■1945年(昭和20年)8月6日という日を、皆さまご存知でしょうか。あの日、午前8時15分、アメリカのB29爆撃機エノラ・ゲイから投下された原子爆弾が広島の上空で炸裂し、一瞬にして広島の街を壊滅させ、多くの人を殺傷しました。
 当時、私は県立広島第二高等女学校という学校の四年生でした。今の高校一年生にあたります。戦争も末期に近づくと、当時の学生・生徒たちは勉強どころではなく、学徒動員令という法律のもと、勤労に従事しておりました。私は、皆実町の広島地方専売局(今のJ.T)の煙草工場で働いておりました。当日は、たまたま痛めた足の治療のために、朝礼を終えてから工場を出て、病院へ行こうと、比治山橋の東詰近くを歩いておりました。
■そのとき、目もくらむばかりの閃光に続く爆風で、傍らの建物が倒れ、私はその下敷きになり、暫くは意識を失いました。気がつくと体の上に重いものがのしかかり、身動きができません。あたりはシーンと静かです。「助けて!」と叫びましたが誰も来てはくれません。必死で体を動かして、僅かの隙間から外へはいだしました。外に出ると、先ほどまで太陽がカンカン照りだったのに、あたりは夜のように真っ暗。しばらくすると、夜が明けるように少しづつ明るくなって行きました。比治山橋の向こうは火の海。多くの負傷者が橋を渡ってこちらへ逃げてきます。衣服に火が点いて、橋から川へ飛び込む人もいます。歩いてきた道路端の家々は、メチャクチャに壊れ、広島は地獄の巷と化していました。
■私は、奇跡的に大きな怪我もなく助かりました。その後、ようやくの思いで宇品にある学校に戻りました。私の学校は、今の女子大学・・・当時は女専と言っておりましたが・・・そのキャンバスの中にある小さな女学校でございました。校舎は、今にも倒れそうに爆風で傾き、中に入ることもできません。女専の方も、屋根瓦は飛び、窓ガラスは全部壊れ、体育館、講堂は屋根が落ちて、ペシャンコになっていました。でも、ともかく、焼けてはいなかったので、ホッとしました。
時計も吹っ飛んで、時刻も何もわかりませんでしたが、やがて私より二年下の二年生が、動員されていた雑魚場町(今の国泰寺町)の建物疎開地の後片付けの現場から、次々に戻って来始めました。全員、全身の大火傷、衣服は焼け焦げて裸同然、顔は倍にも腫上がり、髪の毛はチリチリに焼けています。そして火傷ではがれた腕の皮膚を、指先からぶらさげて。
 学校は、たちまち救護所に早変わりしましたが、薬もなければお医者様もいません。家庭科実習室から使い古しの食用油を探し出して、全身に塗ってあげるのが精一杯の手当です。看護の甲斐もなく、下級生たちは次々に息を引き取っていきます。その頃、ひどい火傷の人に冷たい水を飲ませると心臓がショックを起こして死ぬ、といわれていたので、水を欲しがる人に「がまんしてね、お水はあげられないのよ、死んじゃダメ」と言わねばなりませんでした。何とか助けねばと思ったのです。
■62年経った今も、あのときの少女の「死んでも・・・、死んでもいいから・・・、お水をください」といった言葉が耳の底から消えません。何故、何の罪もない12〜3歳の少女たちが、飲みたい水も飲ませてもらえず、親にも会えず、「熱いよ」「痛いよ」とうめきながら死なねばならなかったのでしょうか。幼い者がこのような悲惨な死を遂げる・・・これが戦争の本当の姿です。私は二度とこのような悲しいことを繰り返してなるものかという願いから、戦争を放棄した憲法九条を、とても大切なものに思います。あの悲惨な死を遂げた少女たちが自分の生命と引き換えに私どもに贈ってくれた尊い賜り物が九条です。粗末にしてはバチが当ります。どうぞ皆さま、再び日本を戦争に加担する国にしないよう力を合わせてがんばりましょう。




リメンバーとノーモア
                       日本基督教団牧師 宗藤尚三
 

 ニューヨークの全壊した元世界貿易センターのグランド・ゼロに「リメンバー2001・9・11」と刻まれた碑が建てられているという。リメンバーといえば私たちは直ぐ「リメンバー・パール・ハーバー」という言葉を思い起こすだろう。アメリカ人はこの言葉を合言葉にして、士気を鼓舞させながら太平洋戦争に突入していった。この掛け声には「やられたらやりかえせ」という報復を鼓吹する響きがある。事実、ブッシュ大統領は、テロ撲滅を合言葉に直ちにアフガニスタンに、またイラクに強力な軍隊を送り、徹底的に報復を行った。しかし、あれから5年たってもテロを撲滅できないどころか、暴力と報復の連鎖は一層激しさを増し、テロは世界に拡散し、内戦状態は深刻さを深めている。
 このような暴力の連鎖の中にあって、「平和な明日を目指す9・11遺家族の会」通称(ピースフル/トゥマロウズ)の人たちは報復の連鎖を断ち切る為に立ち上がり、「紛争の非暴力の解決をめざす」国際ネットワークを設立して、世界の反戦・平和運動家と協力しながら運動を行なっている。彼等は、ヒロシマの被爆者をはじめ、世界の戦争被害者との交流もされていることは意味深いことだと思う。
 私達は決して原爆の悲惨さを忘れることはできないし、あの日の出来事を記憶し、記憶し続けていかなければならないと思っている。しかし、私達は決して「リメンバー・ヒロシマ」とは言わない。私達が目指すものは、「ノー・モア・ヒロシマ」であり、「ノー・モア・ウォー」である。つまり報復と暴力の連鎖を断ち切って、二度とおなじ過ちを繰り返さないという決意の表明である。
 憲法9条はまさに非暴力・非武装のみが21世紀の核時代の国際的な紛争を解決することの出来る唯一の道であるという確信をもって守り抜いていきたいものだ。





「広島保険医新聞 7月号」に、会の世話人でもある青木克明さんの「主張」が掲載されましたので、転載させていただきました

広島共立病院院長 青木克明さん

来年5月開催予定の「九条世界会議」を成功させよう!
                               青木克明

旧日本銀行広島支店は原爆の子の像にささげられた折鶴の展示場となっている。1年分1000万羽の折鶴は壮観である。2004年度の国外からの寄贈は670件、米国が44%を占める一方で中国は4件、韓国は1件にすぎない。原爆の子の像の折鶴展示ブースで珍しくハングルのカードを見つけた。翻訳してもらうと「世界のみんなが言っている。小泉の靖国参拝反対!」と書かれていた。アジアでは原爆は日本の侵略にとどめを刺した正義の鉄槌との考えが主流と言われており、近隣国との信頼関係は残念ながら回復していない。

明治維新後の60年、日本は朝鮮半島、中国大陸、インドシナへと侵攻をつづけてアジアの隣人に大きな被害をおよぼし、太平洋戦争では国土と国民を存亡の危機に至らしめた。その深い反省から日本国憲法は誕生した。前文では日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言している。

しかし、戦後の日本は、朝鮮、ベトナム、湾岸、イラクと戦争を続ける米国の後方基地として国力を回復し、米国の求めに応じて自衛隊の増強をはかって海外派兵をするまでになった。それでも戦後60年、日本が海外での戦闘をしなかったのは憲法九条のおかげである。英国の調査機関による「世界の平和な国ランキング」で日本はノルウエー、ニュージーランド、デンマーク、アイルランドについで第5位になっている。米国は96位、イラクが121位で最下位である。

今、九条の足かせを外して米国の同盟軍として海外で戦争をする国に変える動きが加速している。安倍首相は靖国神社の大祭に供物をささげて5年以内に改憲することを誓い、政府与党により国民投票法案が強行採決された。この法律には、最低投票率の規定がない(たとえば投票率40%でうち白票が10%あれば有権者のわずか18%の賛成で成立する)、有料宣伝が野放し、公務員教員が意見を述べることを制限、など様々な問題点がある。さらに集団的自衛権の行使を改憲前にも可能にすると米国に約束し「有識者懇談会」を設置するなど、日本国民のみならず、日本軍に祖国を侵略されたアジアの人々の不安も高まっている。

改憲論者は「日本国憲法は占領軍によって押し付けられたものであり、時代にそぐわない」と言うが、新憲法誕生には日本人の憲法学者たちの意見が大きく反映していることが明らかになっている。平和主義、基本的人権、主権在民を基本とする日本国憲法は今も立派に通用する人類普遍の叡智と理念である。環境権やプライバシー尊重といった新たな概念を加えることに賛成する意見はあっても九条の改訂を望む国民は多くはない。北朝鮮が核実験をおこないアジアの緊張がたかまっている今こそ九条の意義が大きくなっている。

昨年6月バンクーバーで開かれた「世界平和フォーラム」では各国政府に日本の九条のように憲法で戦争放棄することを求めている。来年5月にはノーベル平和賞受賞者などを招いて世界の共有財産としての九条を支持し、武力によらない平和をもとめる「九条世界会議」が開催される。

東京造形大学教授の前田 朗氏は「世界に27の軍隊を持たない国があるが、日本が憲法九条の規定にしたがって軍隊をもたず、九条を世界に宣伝し推奨してきていたなら、軍隊をもたない国は100を数えていたのではないかと想像する。憲法九条を守る運動と共に、生かす運動、構造的暴力をなくす運動を組み合わせていかなければならない。第九条は無防備国家宣言であるにもかかわらず守られていない。自治体レベルでのピース・ゾーンつくり(無防備地域運動)に取り組み、地域において憲法九条の輝きをとりもどす運動が重要である。」といっている。

大江健三郎氏らの呼びかけに応えて全国各地に6000を超えるさまざまな九条の会が結成されて活動している。広島には以前より「第九条の会ヒロシマ」があるが、職域、地域に新たに50を越える九条の会が誕生して「ヒロシマ九条の会ネット」を結成して講演会の共催、新聞への意見広告などに取り組んでいる。昨年11月に「ひろしま医療人・九条の会」が結成され、今月15日には協会との共催で「香山リカ講演会」を開催することになっている。

黙っていたのでは戦争をする国に逆戻りしてしまう。もっとも過酷な戦争被害をうけたヒロシマから平和憲法を守り、輝かす運動を多くの市民の参加で巻き起こしていこう。





「退男教だより」への村田 眞さんの投稿を転載させていただきます。
県下五十一番目の「九条の会」結成(安佐地区)
                 
村田 眞


2007年3月4日の結成総会で、呼びかけ人を代表して挨拶する村田 眞さん。

 去る3月4日、広島市北部祇園公民館で百八十人が集い、通称「安佐地区九条の会」を結成しました。
 三十人の呼びかけ人を代表して私は次のような挨拶をしました。今年の五月三日は憲法施行六十周年記念日の節目にあたり、「憲法九条、今こそ旬」のことばを参加者全員のものにしたい」ときりだし、次いで今日の日本では、憲法改正賛成の勢力の人々と、国民過半数の世論獲得をめぐって、ものすごい綱引きが行われている現状と、この綱引きの行方を平和を願う多くの人たちが見守っている世界観にも少しふれました。
 日本の良心と知性を代表する九氏のよびかけ以来、全国で六千を超える会が結成され続け、「憲法九条は日本の誇り、世界の宝」であることに確信を深め、今日の集会が市民多数派を実現する第一歩となることを願ってやまないと締めくくりました。
 当日の記念講演は、石口俊一弁護士が「私たち主権者が声をあげるとき」と題して「国民投票法案」の危険な内容を明らかにし、九条を守るために手をつなぐことの大切さを強調されました。最後に申し合わせ事項と結成総会アピールを採択し、幕を閉じたのです。


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