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ニュース・お知らせ


平和がいいね!PEACEパレードin緑井

10月6日(土)午後、3000万署名を訴えた後、緑井公園までパレードします

★10月6日(土)12時半から 緑井天満屋前で宣伝署名行動
★10月6日(土)13時半   緑井第5公園に集合、パレードが出発します
クリックしたら案内チラシを表示します



アンガマ異聞―石垣島いくさ世 を鑑賞

沖縄戦後70年記念朗読劇  八重山戦争マラリアを語り継ぐ会制作のDVD







3月6日、佐東公民館で、「ストップ!戦争する国づくり安佐地区市民アクション」実行委員会と、安佐南革新懇の共催で、表記の朗読劇DVDを鑑賞するつどいが行われ、20人弱が参加しました。

DVDは、昨年の11月に石垣市民会館で上演された朗読劇をプロのカメラマンがカメラを何台も駆使して撮影したもので、なかなかの出来栄えでした。小中高校生も含む多彩な出演者によって、1945年前後の石垣島で何が起こったのか、ドキュメンタリー映像よりかえってリアルに演じられ、感動を呼びました。「国民を守るため」として安保法制が強行されましたが、飛行機もないのに土地を奪われて飛行場づくりの作業に従事させられたり、マラリアが蔓延する地帯に「空襲から守るため」として疎開を強要されたりした住民の苦難が次々に演じられ、軍隊は決して住民を守るための存在ではなかったことがよくわかりました。

石垣島からかけつけた、八重山戦争マラリアを語り継ぐ会の西村幸吉さんは、今石垣島で持ち上がっている島のど真ん中に自衛隊基地を配備する計画について報告し、配備撤回を求める署名への協力を呼びかけました。



戦争法廃止2000万人署名 高取団地行動

2月28日、高取第一公園に71人が参加、31組に分かれて650軒訪問、署名は246筆集まる
広島県9条ネット・秘密法ネット・ストップ!戦争する国づくり安佐地区市民アクション実行委員会の共催



24日にあらかじめ署名用紙の裏に28日の午後訪問させていただく旨を書いて、各家のポストにいれました。

当日は、12時から宣伝カーが出動、路地という路地をくまなく署名のお願いに参りますと案内しました。事前のチラシや宣伝カーの効果もあって、1時間足らずの間に246筆の署名が集まりました。

これを受けて、「ストップ!戦争する国づくり安佐地区市民アクション」実行委員会では、4月9日に沼田の西風新都の訪問行動を提起しました。9時半に集合し、10時〜11時の訪問行動というのが大まかな計画です。詳細が決まり次第にお知らせします。



9月11日 ストップ!戦争する国づくり 安佐地区市民アクション 第4波

9月11日(金)安佐南区、安佐北区の130人余りの市民が安佐南区の緑井公園に集まりました
ミニ集会の後、天満屋前までのパレードで、「戦争はイヤ」「憲法を守れ」の声を響かせました。


最初はコーラス 手話交えてリードするのは中司さん。参加者みんなで「ビリーブ」と「折り鶴」を歌いました。


司会は、今回も安佐の亀仙人、加川さん。実行委員長挨拶に続き、恒例のリレートーク最初は国会包囲12万人の大集会(8月30日)に参加してきた山下さんが、興奮の現地の様子を報告しました


続いて、保育士の三越さんが、子供の命を育む仕事との関わりで、戦争につながる法律をつくることに反対だと、この夏に実家に帰省したときの経験を交えて発言


最後は、戦争を経験した世代から、権藤さん。あの頃のひもじかったこと、怖かったこと、辛かったことを紹介、二度と同じことを繰り返してはならぬと力を込めて訴えました。




会場にはかわいい参加者の姿もちらほら。ちょっと退屈してま〜す。



これも恒例となった、いっせいにプラカード掲げて記念撮影

パレードがは毘沙門通りに入りました





7月29日 ストップ!戦争する国づくり 安佐地区市民アクション 第3波

7月29日(水)130人を超える人が安佐南区の緑井公園に集まりました
ミニ集会の後、天満屋前までパレードしました。


ハミング・バードのコーラスで楽しく集会が始まりました


実行委員長挨拶に続き、集会恒例となったリレートークでは、病院で働く佐々木さんが発言、「若い世代として今、しっかりと平和を考え、行動していきたい」と


5か月の赤ちゃんを胸に抱き、3歳の男児の手を引いたお母さんの清水さんがマイクを握り、「こどもを戦場に送るために産んだんじゃありません。この国で健やかに育て、人の気持ちがわかる大人になってほしい。わが子が殺されるのも殺す側になることも絶対にさせたくありません」と訴えました。右に立つのはこの集会の司会を務める“安佐の亀仙人”こと加川さんです


高陽九条の会、山根さんからも呼びかけがありました




130人、いままでで一番多い参加者です



いっせいにプラカード掲げて記念撮影

パレードが公園を出ました

隊列は毘沙門通りに入りました

歯切れよいシュプレヒコールで、元気倍増

毘沙門通りから外れ、旧毘沙門通りに向かいます

緑井駅前に差し掛かりました。隊列の後部はまだ踏切を渡っていません









5月30日 ストップ!戦争する国づくり 安佐地区市民アクション

5月30日(土)安佐南区の緑井公園に90人弱が集まりました
前回同様、ミニ集会の後、天満屋前までパレード


集会開始前のコーラス練習


集会のリレートーク、戦争体験者として高野さんは志願兵だったときの写真を示して戦争は二度と繰り返してはならないことを訴えました。


パレード開始直後、隊列が毘沙門通りに出たところ


先頭は毘沙門通りを左折、長束八木線に入りました




旧毘沙門通りを緑井駅方向に向かって



緑井駅前をいく









3.20 ストップ!戦争する国づくり 安佐地区市民アクション

3月20日(金)安佐南区の緑井公園に90人余りが集まりました
ミニ集会の後、天満屋前までパレードしました。


ねこバス登場。ギラリと光る目が妙にリアル。子供たちの人気を集めました。


集会開始前のコーラス練習


大きな声をはりあげて、歌い、戦争立法許すなと訴えました













秘密保護法は廃止を

5月2日 高取団地の各ご家庭を訪問して署名をお願いしました

2014年5月2日、9条の会安佐地区ネットワークのよびかけで、第一高取団地を訪問して、秘密保護法廃止の署名をお願いしました。朝10時、高取第一公園には各9条の会から15人が集まりました。地図で訪問区域を確認すると、出発しました。宣伝カーが「秘密のアッコちゃん」の替え歌を流し、署名協力の訴えのアナウンスがされる中で、一軒一軒訪問して回りました。1時間あまりでしたが60筆の署名が集まりました。街頭での署名と違って、じっくり話ができるのがいいと、参加した人たちからも好評でした。ただ、「9条の会」と言っても「???」という表情であまりおなじみでない感じだったのは残念でした。まだまだ活動が不足しているということです。
第二回の地域訪問は6月12日に行い、今度は弘億団地に入りました。あいにくの雨模様でしたが、短時間で33筆の署名が集まりました。




高取・長楽寺9条の会が発足

7月7日、高長集会所に45人が参加して結成総会

結成総会の日の上さんのお話の詳報はこちら 結成総会での上さんのお話はこちらからダウンロードできます(tc9jonews01.pdf)
高取・長楽寺9条の会結成総会(2013年7月7日 高長集会所)
7月7日、午後。小康状態だった空でしたが、再び激しく雨が降り出しました。そんな悪天候もなんのその、高取北4丁目の高長集会所には、出演のナッパーズの皆さんを含めると45人が集まって、高取・長楽寺9条の会の結成総会が開催されました。
午後2時、会結成のよびかけ人8人のうちのひとり、高取北一丁目在住の田中喜代美さん(元保育士)が前に立ち、開会の挨拶をしました。以後、集会は田中さんの司会で進められました。
来賓として、隣の沼田・伴9条の会準備会の西原さん、西風新都9条の会の森田さん、安佐南区・安佐北区9条の会の加川さんが紹介され、それぞれの立場から憲法9条を守ることの意義の大きさが述べられ、新しい9条の会発足を喜ぶ挨拶が述べられました。
写真は挨拶する加川さん(安佐南の亀仙人)
全国を駆け回って、市民の運動を励ましている、ナッパーズのみなさんが登場。
国鉄の分割民営化に先立って全国で荒れ狂ったローカル線廃止(可部線の可部〜三段峡も廃止になりました)の嵐に抗してつくられた「俺たちのシルクロード」、
ニカラグアの独裁政権と戦ったサンディニスタ解放戦線の歌「ノー・パサラン」(奴らを通すな・・・かつてこれはスペインのフランコ独裁政権に対する抵抗の合言葉だった)、
分割民営化の嵐の中で、全国の働く仲間と手を取り合って未来をかけて闘う国鉄労働者の心意気を歌う「未来をかけて
の三曲が歌われた。一番近い場所で聞いていた司会の田中さん「ものすごい迫力に体が震えた」と感激。
続いて、高田龍治さんの指導のもと、練習が本格化、実力派コーラスグループとして頭角を現してきたと評判の、安佐南区を中心に活躍している、ハミング・バードのみなさんが登場しました。
ときどき、ドキドキ」「青い海」「折り鶴」の三曲が優しい声で響き渡りました。
この日、参加者に配布された資料の中に、呼びかけ人の一人、高取北二丁目在住の上 鈴子さん(広島医療生協支部役員)の短歌を16首紹介した資料がありました。上さんが前に出て、その経験を直接語りました。
学徒動員で赴いた工場が鈴が峰に移転、8月6日の朝礼時の閃光とものすごい衝撃。山越しに湧き上がって視界を覆った恐ろしいキノコ雲。広島市内で夥しい死者の中を探し回り、被爆した恩師を見つけて看病した日々。苦しみながら亡くなった恩師の遺体を川原で焼き、拾った骨を入れた缶の熱かったこと。ラジオ放送で終戦を知った夜、家々に灯る蛍火のような灯りを呆然と見つめたこと。軍国少女に育ったが、戦争が終わって、毎日とてもひもじい思いで辛かった日々のことを思い出しながら、海外でも多くの兵士が食糧もなく悲惨な死を迎えて行ったことを知り、戦争というものに深い憤りを感じるようになったことなど、ひとことひとこと、噛み締めるような話が続きました。
今、再び“強い日本”を求め、「戦争のできる国」にするために、憲法を変えようとする動きが強まっている中で、高取・長楽寺に9条の会をつくることを知り、今日、その結成に私が参加できることを、とても嬉しく思うと結びました。
呼びかけ人の、高取北一丁目在住の藤井敏子さん(前市会議員)が「日本を再び戦争する国にさせないため、憲法9条を守る一点で『高取・長楽寺9条の会』に後参加ください」のアピールを提案、続いて、同じく呼びかけ人の、長楽寺一丁目在住の坂本 裕さん(安佐南区・安佐北区9条の会事務局長)が会の規約にあたる「申し合わせ事項」を提案、それぞれ拍手で賛成の意思表示が確認されました。
やはり呼びかけ人の長楽寺一丁目在住の水橋健三さん(安佐南区生活と健康を守る会会長)から、役員(世話人と事務局)の提案が行われ、拍手で承認されました。
決定した役員会、事務局の構成は以下の通り。
  • 世話人
  • 上 鈴子
  • 盛谷博文
  • 藤井敏子
  • 藤田圭子
  • 水橋健三
  • 山本紀子
  • 事務局
  • 坂本 裕(事務局長)
  • 田中喜代美
  • 藤井和義
選出された役員が前に並び、高取南二丁目在住の藤田圭子さん(小学校教諭)が世話人就任の挨拶をしました。
最後に、もういちどハミング・バードのみなさんが登壇、「青い空は」を参加者全員で合唱して、結成総会を終わりました。
日本を再び戦争する国にさせないため、憲法9条を守る一点で「高取・長楽寺9条の会」にご参加ください
高取・長楽寺の皆さん
2004年6月に、日本の知性と良心を代表する大江健三郎ら九氏(*)が「九条の会」を結成し、日本国憲法を守るという一点で手をつなごうと呼びかけました。これに応え、全国で7500をこえる「九条の会」が結成され、この広島でも50を超える「九条の会」が、それぞれ創意あふれる活動を展開してきました。
 自民党の「日本国憲法改正草案」では、9条を変え「国防軍」をつくるなど、「戦争する国」への体制づくりが狙われています。憲法の解釈を変え、集団的自衛権として武力行使できるようにする動きも活発です。私たちは憲法9条の精神をおおもとから否定する明文・解釈両面からのこうした企てを許すことはできません。
今、安倍内閣のもとで、憲法を変える動きが再び活発になっています。まず憲法96条の衆参両院で3分の2の賛成が必要とされている憲法改正の発議要件を過半数に緩めることが狙われています。時々の多数派の都合で憲法を変えられるようにするのは、主権者である国民の権利を守るために権力者に縛りをかける憲法の働きを壊すとんでもない暴挙です。
高取・長楽寺は、1945年8月の原爆投下により、黒い雨が降った地域であり、市内で被爆した人たちがぼろ切れのようになって続々と避難してきた地域でもあります。あれから68年、二度と戦争はしてはならないというのは多くの人々の共通の思いです。
高取・長楽寺のみなさん
憲法9条を守る一点で力を合わせましょう。「高取・長楽寺9条の会」にご参加ください。
2013年7月
  • 呼びかけ人(50音順)
  • 上  鈴子 (高取北二丁目:広島医療生協安北支部委員)
  • 盛谷博文 (長楽寺三丁目:広島中央保健生協専務理事)
  • 坂本 裕 (長楽寺一丁目:安佐地区9条の会事務局長)
  • 田中喜代美(高取北一丁目:元保育士)
  • 藤井敏子 (高取北一丁目:前広島市会議員)
  • 藤田圭子 (高取南二丁目:小学校教諭)
  • 水橋健三 (長楽寺一丁目:安佐南生活と健康を守る会会長)
  • 山本紀子 (長楽寺三丁目:人権擁護委員)

*「9条の会」を結成した9氏:井上 ひさし(作家)、梅原 猛(哲学者)、大江 健三郎(作家)、奥平 康弘(憲法研究者)、小田 実(作家)、 加藤 周一(評論家)、澤地 久枝(作家)、鶴見 俊輔(哲学者)、三木 睦子(国連婦人会)





憲法、そして日本国憲法って何?

連続憲法大学習会 第一回目
広島県ネットワークの石口事務局長が講演

6月16日、佐東公民館ホールで、憲法大学習会・入門編が開催され、132人が参加しました。安佐南区・安佐北区9条の会を含む安佐南北区の諸団体、9条の会による憲法大学習会実行委員会の主催によるものです。
実行委員長の挨拶の中で、この7月7日に新しく「高取・長楽寺9条の会」が発足するはこびになったことが紹介されました。
ハミング・バードのコーラス
 司会の、広島共立病院の弘中孝江さんから、ハミング・バードのみなさんが紹介され、アコーディオンを抱えた高田龍治さんとともに壇上に並びました。「豊かな青い海」、復興ソングの「花は咲く」、そして「あの青い空のように」の3曲が丁寧に歌われました。マイクは使用しないのに、美しい歌声が会場いっぱいに響き渡り、参加者の心にも響きました。
 
石口さんの講演
続いて、広島県9条の会ネットワーク事務局長の石口俊一弁護士が、「憲法、そして日本国憲法って? 改憲案から見えてくる憲法の姿―」と題して講演しました。
 “憲法は法律の親玉”というけれど、憲法と法律では命令の向きが全然違う、法律は公権力が国民に向けて命令するけれど、憲法は国民が公権力に命令するものだと。ただ、憲法がどんなものかについては第一次安倍内閣誕生の頃から議論があるとして、8年前の朝日新聞に掲載された記事が紹介されました。公権力を縛って国民の自由や権利を守るためにあるのが憲法というイメージに対し、国家の目標であり国民が従うべきルールが憲法だというイメージの対立として特集していました。昨年出された自民党の改憲案は後者の立場からのものであり、現行憲法の条文の一部を書き換える形を取りながら、実際は憲法を全く違うものにするものであることが浮き彫りになりました。
 また、石口さんは、今の憲法の成立過程を含む戦後史を学んで欲しいと呼びかけて、その大まかな流れを紹介しました。そして、憲法の成立のときの議論も、今それを変えようとする主張も、根本には誰が主観者なのかという問題があるのだと。ここのところを学ぶ機会がなくなっていることが問題だと指摘しました。そういえば、憲法について学校で学んだことがあるような気がしているけれど、それが小学校だったのか、中学校だったのか、高校時代だったのか、しかとは思い出せない人が結構多いことが指摘され、憲法の基本的なところはしっかり学ぶことの必要性が確認されました。また、NHKによる「現代日本人の意識構造」によれば、憲法が決めている権利にどんなものがあるかの質問への正答率が回を追うごとに小さくなっていることが紹介され、これでは表現の自由や労働組合をつくる権利など、基本的な権利が「どっちでもいい」ことになってしまいかねないと警鐘を鳴らしました。
 話は「国家安全保障基本法案」から「秘密保全法案」、憲法9条と自衛隊に展開していきました。
 最後に私たちがこどもや子孫に残すものは何かと、問いかけ、この憲法こそ残さねばならないものであることを確認して、90分近い講演を終えました。





高取・長楽寺9条の会結成に向けて

呼びかけ人会議開催

2013年5月26日、高長集会所に、憲法を変えさせちゃならんという思いで一杯の地域の7人が集まり、第一回のよびかけ人会議を開きました。その結果、7月7日午後2時から高長集会所で「高取・長楽寺9条の会」設立総会を開催することになりました。
「高取・長楽寺9条の会」への参加のよびかけ全文は以下の通りです。

日本を再び戦争できる国にさせないため、
憲法9条を守る一点で集まる「高取・長楽寺9条の会」をつくりましょう

高取・長楽寺の皆さん
2004年6月に、日本の知性と良心を代表する大江健三郎、井上ひさし、澤地久枝ら九氏が「九条の会」を結成し、日本国憲法を守るという一点で手をつなごうと呼びかけました。これに応え、全国で7500をこえる「九条の会」が結成され、この広島でも50を超える「九条の会」が、それぞれ創意あふれる活動を展開してきました。
今、安倍内閣のもとで、憲法を変えて、日本を戦争できる国にする動きが再び活発になっています。まず憲法96条の衆参両院で3分の2の賛成が必要とされている憲法改正の発議要件を過半数に緩めることが狙われています。時々の多数派のつごうで憲法を変えられるようにするのは、主権者である国民の権利を守るために権力者に縛りをかける憲法の働きを壊すとんでもない暴挙です。
 自民党の「日本国憲法改正草案」では、9条を変え「国防軍」をつくるなど、「戦争できる国」への体制づくりが狙われています。憲法の解釈を変え、集団的自衛権として武力行使できるようにする動きも活発です。私たちは憲法9条の精神をおおもとから否定する明文・解釈両面からのこうした企てを許すことはできません。
高取・長楽寺は、1945年8月の原爆投下により、黒い雨が降った地域であり、市内で被爆した人たちがぼろ切れのようになって続々と避難してきた地域でもあります。あれから68年、二度と戦争はしてはならないというのは多くの人々の共通の思いです。
高取・長楽寺のみなさん
●憲法9条を守る一点で力を合わせましょう。
●「高取・長楽寺9条の会」結成にご参加ください。
2013年5月
呼びかけ人(50音順)
・上 鈴子 (高取北二丁目:広島医療生協安北支部委員)
・盛谷博文 (長楽寺三丁目:広島中央保健生協専務理事)
・坂本 裕 (長楽寺一丁目:安佐地区9条の会事務局長)
・田中喜代美(高取北一丁目:元保育士)
・藤井敏子 (高取北一丁目:前広島市会議員)
・水橋健三 (長楽寺一丁目:安佐南生活と健康を守る会会長)


第12回9条安佐地区ネットワーク会合

6月16日の大学習会(佐東公民館)の成功とともに、6月のジャンボチラシ配布活動の取り組みを確認

2013年5月11日午後、広島共立病院で、第12回目となる9条の会安佐地区ネットワークの会合が開かれ、10団体の代表と、広島県ネットワークの石口事務局長が出席しました。
冒頭、県ネットワークの石口事務局長より、6月のジャンボチラシ配布活動について報告がありました。それは概略以下のようなことでした

昨年12月の総選挙の結果、改憲を強力に掲げる政権が誕生したが、その改憲の動きは以前のものよりかなり狭くなっているという特徴がある。96条改憲を強く打ち出している。これに対する批判が最近になって強まってきたため、ややトーンダウンした感もあるが、通ってしまう恐れも依然として強い。
本来なら進歩していくべき憲法が、権利を抑制する方向で動こうとしている。9条の会が全国で7500あると言っても、このままでは国民の参議院選挙の投票行動は大変なことになってしまう恐れがある。産経新聞、青年会議所も改憲案を発表した。我々は、学習会をしているだけでいいのだろうか。マスコミの流す意図的な情報を、そのまま何の疑問もなく受けているような人たちを対象に働きかけようではないか。5月は憲法で一定の盛り上げができたとしても6月にエアポケットに入ってしまいかねない。かといって参議院選挙を控えた政党のように動けるわけではない。子供達中心の写真入り、2面はQ&Aの大判のチラシ、それなりに垢抜けていて、パッと捨てるには惜しいと思ってもらえるようなビラにしたい。捨てないで7月の参議院選挙までは持っていてもらいたいもの。広島県の119万世帯の3分の1、40万世帯に渡そうということになった。全国によびかけたところ、宮城県の連絡会でも、90万世帯の内、30万枚を配ろうと運動を開始した。九条の会関係でこのような行動は初めてのことだ。
福山、尾道、三原、三次、県内各地からこれに応えて配布枚数を引き受ける表明が相次いでいる。安佐南区で3万2千枚、安佐北区で1万7千枚になるがどうだろうか。
内容は、一過性のものでなく、普遍性を持ったものに、今後しばらくは、学習会資料としても使えるような内容のものにしたいと考えてい壁に貼れば小さなポスターとしても使えるかもしれない。印刷費用120万円ほど。個人・各9条の会にカンパを募る。


これを受けて活発に発言がありました。
みんなで老後を考える会9条の会の高野さんからつぶやくように言った
「96条は憲法のタガだ・・・タガを外してどうするんか!」
には、96条改憲の本質を的確に表したフレーズに、感嘆と共感のどよめきが起こりました。
数多く配布することに大きな意味があることが語られ、ジャンボチラシ配布の意義が深められました。
安佐南区3万2千、安佐北1万7千を配布する大筋を確認し、詳細な配布計画作成に入ることになりました。
5月末にチラシが届き、6月9日からいっせいに配布を開始、6月末までの3週間で配布完了の予定です。5月30日に9条安佐ネット13回目の会合を開催、配布担当団体と地域・配布枚数など詳細な配布計画を確認し、チラシを分配することになりました。
6月16日の大学習会の成功を目指すことも確認、ジャンボチラシも大学習会の宣伝と合わせられること、さらに、配布協力者を募る活動が草の根の9条の会づくりに結びつけられ、一石二鳥にも三鳥にもできるとの発言がありました。
西風新都9条の会では、最近ニュースを発行したこと、独自に9条署名の街頭行動を行う方向で検討していることなどが報告されました。
カラオケ9条の会からは、2月に1回集まって、まず最初に憲法について会員が発言、そしてカラオケを歌うという例会の様子が紹介されました。いずれも“豪華食事付き”なのだそうです。



世話人会開催

96条改憲をさせない署名運動を提起

2013年5月11日午後、広島共立病院で、安佐南区安佐北区9条の会の春の世話人会が開かれました。2012年を振り返り、その経験と、改憲勢力の活動が急速に活発化して、かつてなく危険になっている新しい情勢を踏まえた2013年度の活動の重点を決めました。当面、6月16日の憲法大学習会(第一回目・入門編)を成功させることと、全県ジャンボチラシ配布に全力を挙げることを確認しました。6月のジャンボチラシ配布については、特別に出席の広島県ネットワークの石口事務局長にその概要の説明を受けました。
また、安倍内閣が持ち出した96条改憲が、7月に行われる参議院選挙の争点になることから、緊急に96条改憲反対の署名運動を開始することを決定しました。
大学習会のチラシと入場整理券を確認しました(写真)。
挿絵は、西風新都9条の会の寺本省三さんに描いていただいたものです。


チラシをつくりました




憲法大学習会を協同の力で成功させましょう
安佐地区9条の会がよびかけ

憲法巡る情勢の重大な局面を迎え、草の根からの学習を広げるために

安佐南区・安佐北区9条の会世話人会(1/26)は、憲法情勢が重大化していることから、草の根での学習を広げるために、6月初旬〜中旬の時期に憲法についての学習会を、心ある多くの団体や個人と共催しましょうとよびかけ、下記の文書を発表しました。
市民の皆様と各団体に呼びかけます
~~~憲法大学習会の共同開催の呼びかけ~~~
2013年1月26日
安佐南区・安佐北区九条の会

市民の皆様、そして各団体におかれましては、日々ご活躍のことと存じます。
さて、昨年来、改憲の動きが強まってきております。「集団的戦争権」とでも言うべきことを「集団的自衛権」と称して、容認しようとする解釈改憲だけでなく、さらには国防軍創設を含む明文改憲案などが続々と登場しています。安倍政権などの改憲勢力はまず、憲法96条の改憲発議要件の緩和を打ち出しました。憲法9条が変えられることにつながるだけでなく、国民の自由と権利を守って権力を規制するという、そもそも憲法が持つ基本的な機能が変えられようとしています。改憲勢力は、参議院選挙が終われば、具体的な改憲作業に取り掛かることが予想されます。憲法をめぐって情勢はかつてなく重大な局面となっています。
様々なまやかしの議論が氾濫している中、本当のことが求められています。今、憲法そのものについての学習運動を地域の隅々まで広げることが重要ではないでしょうか。安佐南区・安佐北区九条の会では、草の根の学習運動を支援する企画として、憲法大学習会の開催を考えています。心ある個人の方々、および、各九条の会をはじめ、憲法を守ることを運動方針に含んでおられる諸団体との共同開催で、知恵と力を集めて成功させたいと考えます。つきましては、3月9日(土)午後1時半より広島医療生協四号館大集会室にて第一回実行委員会を開催いたしたく、ご賛同いただける個人の方々や各団体から、実行委員になっていただき、実行委員会へのご出席をお願いいたします。


5周年記念講演会開かる
佐東公民館ホールに230人

安佐南区・安佐北区九条の会設立5周年記念講演会/9条の会安佐地区ネットワーク共催

9月30日午後、佐東公民館ホールで、安佐南区安佐北区九条の会発足5周年を記念講演会が開催され、230人が参加した。
当日の様子を写真で紹介
写真説明
プロローグ
講演をお願いしたアーサーさんは全国を飛び回っている超お忙氏さん。もちろん、携帯などとは無縁のお方、事前の打ち合わせもままならない。そんな中、安佐地区九条の会の講演会の前日、東城でアーサーさんの講演があることを知った。主催者の名越さんと連絡が取れ、アーサーさんと打ち合わせの時間が取れないか相談していたら、広島市内のアーサーさんの自宅から東城まで坂本・加川が車で送ってくれないかという話になった。その道中でならじっくり打ち合わせできるというわけだ。
昨年から“坂本号”は、家庭の経済情勢の変化を反映、普通車でなく軽自動車になっていたが、さらに二見伸吾さんも同乗で、定員いっぱいということになって、大変窮屈な旅となった。運転席から「狭くてすみませんね」と、後ろのアーサーさんと二見さんに軽自動車しか準備できなかったことを詫びる。「大丈夫です!僕とアーサーさんの間には十分隙間がありますから!」と明るく応じたのは自分の席は自分のお尻で全部埋め尽くしているであろう二見さん。左の写真は、途中のサービスエリアでトイレ休憩したときのものだが、アーサーさんは痩せる思いで座っておられたのかと、改めて思う。
名越さんに帝釈峡の「もみじ亭」に案内され、昼食をごちそうになった。車内では十分打ち合わせできなかったので、注文したそばがくるまでの時間、“安佐の亀仙人”こと、加川さんが、翌日の朗読を依頼する詩のタイトルを伝えたり、進行表を広げて翌日の流れをアーサーさんに説明したりした。静かに聞いていたアーサーさんだった。“亀仙人”が最後に念を押した。
「4時半が終了の時間です。これより後ろにはずれんようにしてくださいね」
これに、二見さんが間髪入れずに言った。
「それは一番大事な話だ!」
それまで黙っていたアーサーさんも反応。
「うん、それが一番大事な話かもしれない」
詰めかけた230人
翌30日、午前中の台風接近による荒れ模様も収まって、午後2時前、佐東公民館ホールには、230人が集まっていた。演台の横の大きな花瓶には花が生けられた。綺麗に飾られた花瓶に不用意に触ってしまった人あり。衝撃で花がバラッと崩れた。開演はもうすぐの頃、慌ててそれを直して開演には間に合ったが、その光景、頭に収めている人物があった。この日の講演者、アーサー・ビナードさんだった。この光景は、後にその講演の中に登場することになる。
定刻になり、司会を担当する二人、丸山弘子さんと弘中孝江さんが登場、開演となった。
まず最初に登場したのは、ハミング・バードのコーラス。
ハミング・バードのテーマ曲とも言える「ときどきどきどき」、上関原発反対運動のとりで、祝島をテーマにした「豊かな青い海」、子どもへの深い愛を表現した「いとし子よ」の三曲。 
日頃の練習の成果よろしく、本格的なコーラスであった。三曲の美しい歌声が会場いっぱいに響き、参加した人たちの心にしっとりと潤いが染みわたった。
コーラスが終わると、アーサーさんから「今日のテーマにピッタリでしたね」と声がかかったそうだが、参加者の感想の中には、アーサーさんの話への好評価だけでなく、ハミング・バードへの賛辞もかなり多かった。
安佐の亀仙人、いや、実行委員会を代表して、安佐地区九条の会事務局の加川 勲さんが挨拶した。その要旨は概ね以下のようなものだった。
この講演会は、「安佐南区安佐北区九条の会」の5周年を記念してのものだが、安佐地区の15団体からなる「九条の会安佐地区ネットワーク」が共催し、実行委員会をつくって準備してきた。
原発問題は今関心の高い問題だが、他のことでは意見が違っても憲法9条を守る一点で力を合わせる九条の会が、憲法九条ではない原発の問題を取り上げていいものか?当初はためらいもあった。自民党の石破氏の「原発は潜在的抑止力としても必要」の発言などを論議した。防衛大臣になる直前の森本氏も同様の発言をしているが、「核兵器はいつでもつくれるぞ」と他国を威嚇するのは憲法九条が禁じていることではないか、憲法9条と原発の問題は実は深く結びついているのではないかということになった。九条の会だからこそ、今、原発をテーマにした講演会をやらんといかんということになった次第。
今日の話を聞いて、「ああ、いい話を聞いた」で終わらせるのでなく、一人でも二人でも、まわりの人に語りかけ、九条を守る運動を広げてもらいたいのだ。と、加川さんは付け加えることを忘れなかった。
2時20分過ぎ、アーサーさんが紹介されて登場、最近、童心社から出版されたばかりの絵本「さがしています」から二篇の詩が朗読された。
写真は、詩の朗読をしているアーサーさん。持ち主がピカドンで消えてしまったが、一度始まったウランの核分裂がどうやったら止められるかさがしているというメガネが語る「はじめてお目にかかります」が朗読されている。会場には、ポロンポロンと響く、西原さん(安佐九条の会事務局)が選んだショパンの「ピアノソナタ第3番、第3楽章Largo」が流れ、スクリーンには絵本のページが映し出されていた。この日朗読されたもう1篇は、頭を守ろうとしたが持ち主は生き残れなかった帽子が、何を勉強したら生き残れたかさがしていると語る「べんきょう べんきょう べんきょうしなさい」だった。
司会の弘中さんのインタビューに答えるアーサーさん。アーサーさんがどんな人か、立体的になった。
2時35分、いよいよ、アーサーさんの講演が始まった。アーサーさんは、今の世の中は矛盾と嘘だらけになっているとして「どんなPR作戦で、どんなからくりでこうなったのか、振り返りながら喋ってみたい」と口火を切った。
2001年に中原中也賞を受賞した詩集「釣り上げては」を開き、一篇読みたいと切り出した。なぜ最初に詩を読むのかについて「僕は喋りだすととまらなくなってしまうので、最初に読んでおかないと時間がなくなって読まずじまいになってしまうから」と。(いつもより時間のことをかなり意識されてるのかな?と思っていたら・・・)
横に飾られた花を指して「関係者から聞いた噂によると、終了の4時半になると、この花が全部分解し崩れるように細工されていると聞いた。時間までに結論までいけたらなと思う」と続けた。(ここで花瓶の花が崩れた場面が登場!)
アーサーさんが取り上げた詩は「もんじゃ」。お好み焼きがぐちゃぐちゃになったような「もんじゃ焼き」を連想して、高速増殖炉の名前としてはピッタリの名前だ、特にメルトダウンを起こしたらいっそうぴったりになるだろうと皮肉った。朝鮮仏教徒連盟中央委員会が日本政府に文殊菩薩の名前を使ったことに抗議したことを知り、「もんじゃ」ではなく「もんじゅ」だったと気づいたように言われたが、それもアーサーさん独特のジョークのようだ。中也賞受賞作は、英訳して出版されることになっており、日本語の詩を英訳することになったというところから、日本人よりも日本語に熟達したアーサーさんらしい話が展開されていった。
日本語表記の名称には、その翻訳・名付けの段階からペテンとごまかしの意図を持っていることがあるというのだ。英語でNuclear reactor(核反応装置)は、溶鉱炉、暖炉、囲炉裏などを連想させ、どの世代にも受け入れやすい「炉」を用いて「原子炉」と訳された。何も燃やさない何も溶かさないのになんで炉なのかと。メルトダウンしたときは溶けるけど。本当はプルトニウムという原子爆弾の材料を獲得するのが目的で、それを発電が目的、平和利用であるかのようにカモフラージュするのと軌を一にしていると。「平和利用」キャンペーンは原爆が最初に落とされた広島が最も利用されたと。「ピカドン」と同じことをジリジリするのだから「ジリジリ」と呼びたいとも。「使用済み燃料棒」も決して使用済みではなく、これから利用するもので、燃料棒でもない。「ぜつぼう」と呼びたいと。「燃料棒」ではなく「ウラン棒」が、「ジリジリ」の中でプルトニウムをつくるための「ぜつぼう」に変わるのだと。
そう考えると、最近政府が、2030年代に原発をゼロにすると言いながら大間原発建設工事着工を認めたりしていることが支離滅裂な政策に見えていたが、どっこい、実は一貫したしたたかな方針のもとに進められていることだということになってくる。“目からウロコ”である。
自分の話や著作を“目からウロコ”と褒めてくださるのは大変嬉しいが、注意して欲しいとの呼びかけがあった。ラジオ番組に出演していて、本質的なことをいうのに大変苦労してきた話が紹介されたが、ラジオはまだいいのだと。出版されている本の9割、テレビの99%は新しくウロコをポンポンとはめるもの、“目にウロコ”がいっぱいあるというのだ。テレビみていたら思考回路が腐ってしまうとも。新聞も、別名“ウロコ新聞”となって、プルサーマルをやめるななどと説いていると。
「もんじゅ」と再処理工場を止めればわたしたちの運動の勝ちなのだと、両施設は個々の原発に比べ一段と重要な位置づけにあることが示された。青森県の本州最北端の大間で建設されようとしている大間原発は、六ケ所村の再処理工場と「もんじゅ」を支えるものだと指摘。さらに、その建設を阻止して一人でたたかってきた熊谷あさ子さん、今はその娘さんの小笠原厚子さんにひきつがれている「あさこはうす」の話も紹介された。

4時20分頃、「あと10分です」とのメモがアーサーさんにそっと渡された。アーサーさんがそのメモをチラッと見たのは4時半頃だった。「あと10分です」と書いてあるとメモの中身を紹介して、さらに10分、講演は続いた。この最後の10分間こそ、講演の最も大事な部分が話された。こうして、制限時間をも味方にしてしまうアーサーさんだった。
終了後、受付付近で、アーサーさんの著作の販売が行われたが、飛ぶような売れ行きで、瞬く間に売り切れてしまった。


アーサー・ビナード(Arthur Binard)さんプロフィール:
詩人。1967年米国ミシガン州生まれ。ニューヨーク州のコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞を受賞。エッセイ集に『亜米利加ニモ負ケズ』(日本経済新聞出版社)、『日々の非常口』(新潮文庫)、『出世ミミズ』『空からきた魚』(ともに集英社文庫)、絵本に『さがしています』(童心社)、『くうきのかお』(福音館書店)、『ことばメガネ』(大月書店)、翻訳絵本に『ダンデライオン』『どんなきぶん?』(ともに福音館書店)、『カエルもヒキガエルもうたえる』(長崎出版)、『ホットケーキできあがり!』(偕成社)、『ほんとうのサーカス』(BL出版)、詩集に『ゴミの日』(理論社)、翻訳詩集には『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房)、『ガラガラヘビの味』(共著、岩波少年文庫)、『ひとのあかし』(清流出版)など。文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」と青森放送「サタデー夢ラジオ」でパーソナリティーもつとめる。



憲法9条と、横井久美子のトーク&ライブ
Be Happy(音楽ファン9条の会)も出演

6月3日、横井久美子さんを招いて「憲法9条と、横井久美子のトーク&ライブ」が開催された。横井久美子「春秋楽座」300回を記念しての全国ツアーの一環でもあった。憲法9条を守り、平和な未来を願うささやかなつどいとなった。豊かな自然と魅力的な人たちに出会う場となって、歌にありがとう、あなたにありがとうの気持ちがあふれた。東日本大震災の被災地に心をつなぐつどいともなった。横井さんはマイクを使わない、元気になるライブ空間を参加者と一緒に作るという考え方で、個が分かりあえる人数としては50人限定とされているところ、主催の安佐地区九条の会の実行委員会はなんとか定員70名ということで了解を取り付け準備を進めた。しかし、当日「どうしても参加したい」という方等含めて最終的には78人に膨れ上がってしまった。定員オーバーにもかかわらず、横井さんの歌声は会場いっぱいに響き渡り、参加者は、歌声を聴き、一緒に口ずさんだ。あちらこちらに涙ぐむ人も見かけられた。
中休みの後のトークも、横井さんはマイクなしで通したが、後で後ろの方の席にいた人から「よく聞こえなかった」の感想があり、実行委員会では定員超過を反省。


当日の様子を写真で紹介
写真説明
午後1時過ぎ、ぞくぞくと集まる参加者。会場は、以前は焼肉屋さんだったところ。
受付も忙しくなってきた。名前の記入をしてもらい、プログラムとチラシ類を手渡す。
音楽ファン9条の会、Be Happyの演奏で賑やかな幕開け。
会場は聴衆で埋まった。
山本菜穂子実行委員長が開会挨拶。
横井久美子さん登場。人間を大切にする気持ちが伝わり、早くも涙ぐんでいる人も。
中休みを終えると、横井さんと長い親交があり、この日も司会を務める藤井さんとのトークが始まった。じわっと元気が出てくるトークだった。
ギターをトンコリにかえて歌は続く。トンコリは、差別・抑圧を受けてきたアイヌの人々の竪琴だ。
右前方の見事な花は叶谷さんが心を込めて準備してくれたもの。
会場はひとつになって歌った。
閉会の挨拶を述べる岸本喜美恵さん。終わったばかりの演奏の余韻の中で、9条を守る熱い気持ちが伝わってきた。
DVDや書籍のサイン販売には長蛇の列ができ、ほとんどが売れてしまった。陸前高田市の「佐藤たね屋」の小松菜の「すてきだ菜」「よかった菜」など震災被災地を励ます品々も売れた。
すべてお開きになったあと、有志で交流をした。自己紹介し、この日の感想を出し合った。新しい力が湧いてきた。



> 九条の会安佐地区ネット(第6回)会合に参加
ミニ学習と2012年度の計画検討
2月25日(土)、広島共立病院で開催された、九条の会安佐地区ネットワーク(略称:九条安佐ネット)の第6回目の会合には、10団体から13人が出席、最近の改憲の動きの特徴についてのミニ学習をした後、2012年度の活動計画が話し合われました。
「再び動き始めた改憲作戦」のテーマだったミニ学習(右の動画参照→「動き始めた改憲作戦」拡大表示では、憲法9条に関しては守るべしという世論が引き続き優勢な中、なんとか逆転を狙って昨年来3つの新たな改憲の火の手(改憲発議要件の緩和・二院制の廃止・緊急条項の付加)が上がってきたことが紹介されました。いずれも真の狙いである9条改憲を迂回する“まぶし”作戦をとっており、国民の権利を守るために権力を規制するという憲法の基本に風穴を開けようとする点で共通することが確認され、こうした改憲の策動を封じるために有効なこととして、憲法は他の法律と違って、国民を取り締まるのではなく国民を守って権力者を縛る法律であることを大いに広めていこうとよびかけられました。
2012年度の計画では、憲法について学習を強めることを柱にしつつ、各九条の会が主体的に参加できる取り組みをおこなうこととし、具体的には、 まず6月3日に、シンガーソングライターの横井久美子さんを招いて「憲法9条と、横井久美子のトーク&ライブ」を開催すること、その実行委員会を発足させることを決めました。
そして、秋には、恒例となりつつある、学習講演会を開催することを確認しました。








2月19日(日)、西風新都九条の会が「被爆体験を聞く会」
大藤信義(おおとうのぶよし)さん、被爆体験を伝え、平和の尊さを訴える
結成から2年になる西風新都九条の会ですが、2月19日(日)午前10時より、大塚のAシティ・ステージ集会所で、「被爆体験を聞く会」を開催し、11人が参加しました。
この日、自らの被爆体験を報告したのは、地元、Aシティ在住の大藤信義さん。1932年生まれで、今満79歳。2007年3月の安佐南区・安佐北区九条の会の結成にあたっては、呼びかけ人として参画しました。ずっと被爆体験を人に話すことはしてこられませんでしたが、近年になって、やはり若い人たちに伝えようと、大塚小学校や、市立大学などで自らの被爆の体験を話されるようになったとのことです。

≪お話から≫
1945年8月6日の被爆当時、旧制中学一年生でした。学校の校庭(爆心地から2q以内)で朝の点呼を受けようと、ずらりと並んで待っていたときのこと。生徒同士で雑談していると、晴れた空に銀色に光る飛行機が見えたそうです。それをみんなで見上げていたところ、あの閃光。爆風で吹き飛ばされたそうです。気がつくとあたりは暗くなり、上半身は熱線で焼かれひどいやけどを負っていたと。下半身は無傷で歩くことができたので、まず友だち同士で比治山に逃げ、やけどの皮膚に油を塗ってもらったが、その後、それまでいた仲間たちがいなくなったそうです。疎開していた五日市の親戚の家まで徒歩で帰ろうと、市内を横切り、観音橋から己斐を経由して午後4時〜5時頃、五日市に着いたそうです。途中、観音橋あたりでは激しい雨が降ったと。巡回の軍医の治療を受けて着実に回復して行き、自分はケロイドもひどくはなかったと。ただ、同級生の中にはひどいケロイドに(苦しんだ人、ガンで亡くなった人など、何年たっても原爆症に悩む人が多くいたと。
当時、みんな貧しい生活で、この貧しさを少しでも和らげるのがこの戦争だと思っていた、海軍兵学校の生徒の制服姿が格好良く見えたそうです。しかし、戦争が終わり、平和の尊さがわかり、憲法九条の大切さがわかったと。大藤さんは、参加者に、今、核兵器を持っている国がどこかわかりますかと問いかけ、核兵器廃絶を呼びかけました。原爆慰霊碑の碑文の「過ちは繰り返しませぬから」の文章が言う過ちとは何か、考えて欲しいと訴えました。日本の侵略戦争の過ちもあるでしょう、そしてアメリカの原爆投下の過ちもあるでしょうと。ただ、日本はアジア諸国に対し、侵略戦争を仕掛けたことを謝罪したが、アメリカはまだこの惨い原爆投下で非戦闘員を多数殺したことを一貫して謝罪していないとも。

10時から始まったのですが、大藤さんの話に引き込まれ、気がつくともう12時を過ぎていました。






10月1日、安佐南区民文化センターで日米安保条約の学習会が開催されました
講演; 
「安保からみる、原発、暮らし、私たちの未来」
講師;二見伸吾さん(広島県九条の会ネットワーク事務局・広島県労働者学習協会講師)
◆ 当安佐南区・安佐北区九条の会も含めて、安佐地区で活動する12の九条の会、2つの九条の会準備会、憲法九条を守ることを組織の方針の一部に掲げている2団体などが結集する「九条安佐地区ネットワーク」が、10月1日、安佐南区民文化センターで、日米安保条約についての学習会を開催しました。
安佐南区、安佐北区を中心に様々な地域から40人が参加し、熱心に聞き、活発に質問や意見交換しました。
 冒頭、司会者から、憲法九条を守る運動を進めている中で、憲法九条と矛盾することや、憲法九条を脅かすいろいろな問題が日々起こっていることに改めて気付かされますが、そのなかに、どうも日米安保条約と関係がありそうだという問題が結構多いことが、事務局の中で話題になったと、今回の学習会のテーマを「日米安保条約」にしたいきさつが報告されました。
司会者の紹介されて壇に立った二見さんですが、Tシャツ姿でギターを抱えての登場で、参加者はまずびっくり。「歌ではお金はとても戴けないので、講演の中で無理やり歌わせてもらいます」と言って歌で始まった講演会に、会場はすっかりなごやかな雰囲気となりました。(写真右)
二見さんの著書にブックレット「ジョーカー安保」がありますが、そのタイトルについて、エースは憲法なのに、ジョーカーの安保がエースの働きを阻害していると解説がありました。
◆ 講演は、まず、今最もホットな問題、原発問題でした。「この、国土は狭いけれども世界有数の地震大国日本に、どうして54基もの原発があるのか」の問いかけから始まりました。今でこそ「不足するエネルギーの確保」というのが原発推進の理由として説明されていますが、ことの始まりは、アメリカの核戦略を推進する上で障害となっている日本の反核世論の盛り上がりを核は安全に利用できることを示して抑え込む・・・「毒をもって毒を制する」ためだったというのですから驚きでした。背景に日米安保条約に基づくアメリカからの“押しつけ”があったのです。
 原発は大変危険なものだから撤退していくべきとの主張にたいし、原発がなくなったら日本の電力が足りなくなるという反論があります。仮に本当に電力が足りなくなるとしても、それで危険なものが急に安全になものに変わるわけはなく、反論にはならない議論です。それはそれとして、原発がなくても日本の電力は足りるかどうかは、関心の高い問題ではあります。その答えは二見さんが、そのために着て来られたTシャツ(写真左)に描かれていました。原発がなくても十分にまかなえることがグラフでわかりやすく示されていました。二見さんは、春先に「計画停電」を強調した東京電力が、かつては、夏の電気使用料量は、春秋の5割増しとなるが、そのピークはひと夏で25時間ほどに過ぎないと宣伝していた話を紹介しました。そして、夏はヨーロッパ諸国並みに4週間程度の長期休暇をとれば電力は足りなくなったりしないと力説、だいたい日本人は働き過ぎで、働き過ぎだから日本経済も上向きにならないのだと。
◆ 講演は続いて日米安保条約そのものに進みました。1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約が結ばれた同じ日に、秘密裏に結ばされた不平等条約、それが日米安保条約でした。条約第一条の「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその周辺に配備する権利を日本国は許与し」と、米軍が日本に駐留することがアメリカの権利として日本が許すとが述べられている点は印象的でした。「米軍は日本を守るためにわざわざ来てもらっている」という話とは正反対のところに真実がありました。
1960年に結ばれた新安保条約については、第2条の経済協力条項によって、がんじがらめになっている日本の現状の解説が特に印象的でした。
「憲法は9条、安保は10条」と第10条が大切だと二見さんは力説しました。第10条には、条約終了について書かれており、1970年以降は、いずれか一方の政府が条約終了の意思を通告すれば1年後には終了すると。旧安保条約のように両国がそれぞれ認めなければならないという条件はなく、安保条約を解消するには終了を通告する意志を持った政府をつくりさえすればいいという点が大きな違いだと。
◆二見さんは講演を終えるにあたって、もう一度ギターを取り出し、歌声を会場に響かせました。歌で始まり歌で終わる楽しい講演でした。その後、会場から寄せられる質問に丁寧に答えていただきました。
◆最後に司会が、今日の学習で、日米関係の土台にしっかり腰をおろしているのが日米安保条約であることがはっきりわかったこと、そして、そのことと日本国憲法改悪の動きがアメリカ発で始まったことと無関係ではないことを述べました。今年、改憲に都合よくつくられた国民投票法が施行されましたが、憲法96条改正をめざす議員連盟が発足するなど、究極の目的である9条改定に向けて外堀を埋めるようなやり方での改憲の動きが再び強まっていることに対して、憲法を守る世論を広げようと呼びかけて学習会を終わりました。




岩国基地を体感する阿多田島ツアー 報告
安佐地区から40qほどのところに位置する岩国基地は、騒音など「住民負担の軽減」を理由に掲げて沖合への滑走路の移設(増設?)、水深13メートルの巨大岸壁新設など、基地の拡大強化の工事を完成させたばかりです。その騒音が住民訴訟となって敗訴を重ねていた厚木基地からは、空母艦載機の岩国基地への移転が2014年までに行われることになっています。
落語「三軒長屋」では、騒々しい両隣の住民に引っ越しを求め、やっと承諾してくれたと思ったら、単に両者が入れ替わるだけの引っ越しで、迷惑している住民にとっては何の解決にもならない引越しだったのですが、このたびの移駐、「住民負担の軽減」も看板に掲げられていますが…「三軒長屋」の引っ越しの程度ではないようです。

九条の会は「憲法九条を守れ」の一点で結集する運動体であり、米軍基地問題や原発問題などでは意見が違う場合も当然ありうるわけで、今なぜ阿多田島かについては説明が必要です。
米軍が日本に駐留しているのは「日本を守るため」というのが公式の説明です。そして米軍の基本的な姿勢は「攻撃を受けたら反撃する」という生易しいものではなく、もっと手が早く、「おかしな行動をとればいつでも先制攻撃しますよ」と単なる脅しを超えた威嚇をするもので、“攻撃は最良の防御”を地で行くものとなっています。イラクへの先制攻撃がそうでした。しかし、そんな米軍の日本駐留を認めているのは、憲法九条が、武力による威嚇、武力の行使を永久に放棄するとしている点と矛盾しないのか、外国の軍隊だから関係ないとは言えないのではないか、という疑問が起こります。この問題を放置すればそのことが将来憲法九条を変える論拠にされるということも考えられなくもありません。いずれにしても、九条の会としてこの問題に関心を持って実態を学ぶことは、今、必要なことではないのかということになります。




2011年6月20日、「九条の会安佐地区ネットワーク」主催の表記ツアーに、当安佐地区九条の会からも参加しました
広島共立病院に集合したのは18人
貸し切りのマイクロバスには16人が乗り込み、別に、阿多田島で歩くのが困難な参加者のために軽自動車“加川号”に乗ったのが2人。合せて18人が、8時過ぎに出発して、一路大竹市は小方港に向かいました。小方港で「岩国基地の拡張・強化に反対する広島県西部住民の会」の4人の方々と合流し、合計22人で阿多田島に向かったのです。
小方港の待合所の“マスコット”猫にごあいさつする西風新都九条の会の村田さん
小方港についたのは9時前でした。待合所にはマスコット的存在の猫がいました。頭とか背中などを撫でているときはじっとしていますが、前足に触ろうとするとサッと指に噛みつき“寸止め”で「ヤメロ」の意思表示。人の扱いに慣れていました。
ここで坂本千尋さんをはじめとした西部住民の会の4人の方々と合流しました。毎日新聞の記者、赤旗新聞の記者も来られていました。 
フェリーに乗船、話は尽きません
団体割引の手続きをして、首からさげる番号札を受け取ったらフェリーに乗船です。あちらこちらで討論の輪ができました。船の出発までもうすぐです。
デッキでは爽やかな風
出発を待つ時間、ここでも話がはずんでいます。向こうに見える建物は大竹市役所でしょうか。
いよいよ出港
9時30分になり、船が動き出しました。右には大竹の白い煙・蒸気を吐き出している工場群の煙突が立ち並んでいます。
操縦室を覗いてみたら
船長さんが握る“ハンドル”(本当は舵輪というのだそうです)が随分小さく、まるでおもちゃのようだったのに驚きました。イメージとしては直径1メートルくらいの輪っかを「面舵いっぱぁい」などと大きな声を出しながら回している姿を想像していました。
見えてきました、阿多田島
左の小島が猪子島、右が阿多田島です。二つの島の間に目指す阿多田港が位置しています。阿多田島で最も高い地点で標高204メートルですが、雲に覆われています。天気は悪そうなのに、海面は穏やか。まるで鏡のようです。 10時5分きっかりに阿多田港に到着。
早速人数確認。トイレを済ませて出発です。“加川号”も配置につきました。見ると、右側面に大きく擦った跡。「どうしたのですか」と尋ねたら「いやね、ボクは普通に運転していたんですがね、壁が急に寄ってきましてねぇ」と仙人のようなお答え。
阿多田神社を通り抜けて
阿多田港からは海の家「あたた」をめざしました。歩くのは難しい人は“加川号”に乗って行きました。加川号はその後も何往復もして、阿多田神社を抜けたあたりから上り坂となりました。人口300人ほどの島に22人もの人が降り立っただけで目立つ感じですが、それがぞろぞろ歩きだしたので、島のひとたちはびっくりされたかもしれません。すれ違うたびに「こんにちわ」と挨拶していきました。大きなS字のコーナーを抜けて、木が鬱蒼と茂ってきたところで、「ゴーッ」とけたたましい爆音が響きました。みんな音のする方向を見上げましたが、飛行機は低く垂れこめた雲に隠れていて見えません。
坂本千尋さんが熱く説明してくれました
10時半には海の家「あたた」に着きました。人数を数えたら一人足りません。三差路で左折しすべきところ、案内を立てていなかったのでまっすぐ行ってしまった人がいました。目配りが足りませんでした。幸い携帯電話がつながり、“加川号”の活躍で無事全員揃いました。
坂本さんの話…厚木基地が夜10時まで滑走路を使用することで日米の合意があるのに対し、岩国基地は11時までの使用を認めていることの他、艦載機は57機と言われていたが59機となり、62機とも言われるようになったこと。普通は2機編隊で飛ぶこと、「ホーネット」ではなく「スーパーホーネット」が配備されること、などが話され、みんな「ほーね」っという顔で聞き入っていました。。米軍機低空飛行で土蔵が壊れてしまった岡山県津山市の事件についても詳しく報告がありました。
島の形がすっかり変わってしまった姫小島
写真は窓から見えた姫小島です。船の向こうの、右に高い所があって左は平坦な、まるでスリッパを置いたような形の島です。
坂本さんの説明では、米軍の、古くなったいわば“賞味期限切れ”の爆薬…放置していると危険な存在…をここで処理するのだそうです。岩国基地側には防音壁が設置されているが反対の側には設置されていないとも。繰り返される爆発で、島の形がすっかり変わってしまっているのだと。本来なら今日も爆発処理が行われるところ、雨模様なので中止になっているのだろうと。
米軍機低空飛行についても説明がありました
2007年12月7日(金曜日)の午後、広島市内で多数の目撃情報が寄せられた米軍機の低空飛行について、目撃情報を整理して作成されたカラー刷りの地図をもとに、当時の状況が説明されました。
参加者は地図を見ながら(中には逆さにして見る人もあったようですが) 説明を聞き、米軍機の傍若無人の飛行に驚くやら怒るやらでした。
坂本さんからは、昨年、広島市で行政に寄せられた目撃情報は11件だったとして、実際にはそれをはるかに超えて低空飛行がおこなわれているので、目撃したら情報を積極的に寄せるように呼びかけがありました。
海の家の本田館長からもお話が聞けました
阿多田島の住民の一人として、一言述べたいと語り始めた本田さん。阿多田島は106軒、300人弱の人口で、イワシ漁、牡蠣の養殖、はまちの養殖など、漁業で生計を立てている島だと。騒音がすると、電話もしばらく全く聞こえなくなるし、テレビもダメ、海では餌をやっても魚が深い所に潜ってしまい死んでしまうなど養殖にも被害が出ているし、岩国基地の拡張で太刀魚が獲れなくなった。退職後6年間自治会長を務め、騒音問題でも役に立とうとしたが、実際には騒音問題では悩み通した6年間だったと。
住民からは声が出なかったのだと。
声が出ない(出せない?)
自治会の総会で求めても意見は出ず、提案した決議案に賛成はゼロだったと。話を聞いて、実際には、騒音には大変悩まされながらも、狭い地域社会で地縁、血縁も強いこともあるのでしょう、なかなか要求したいことを率直に要求することはできない、思っていることを単純には口に出せない、ビラ一枚受け取るにも気をつかう、深い深い悩みがあるように感じられました。阿多田島ほど激しくはなくとも、安佐地域でも、政治的な問題になると、大なり小なり似たような点があるような気がしました。いろいろ複雑な障害物があるようでも、奥には切実に解決を求める人間らしい自然な要求が確かに存在し、そこにこそ真実があることに確信を持って運動を粘り強く進めて行くことだと思われました。
ここで昼食となりました。阿多田島で獲れる海の幸に舌鼓…といきたい所でしたが、それはまたの機会にお預けとし、この日は持参の手弁当で済ませました。ちょっと味気なかったかも。
海の家をバックに記念撮影
みなさん、まだまだ意気軒昂、これから島一周出発しました。
旧ヘリポート建設予定地のグラウンドから岩国基地を眺望
一本道をひたすら東の方向に歩きました。ときおり雨もぱらつきました。道の両脇には、結婚記念とか卒業記念とか、金婚記念とか・・・桜が植えられていました。何年かしたら島を一周する美しい桜並木になることが予想されました。海の家から1.8qほど歩いたところで左方に海岸に下りる道がありました。そこを下っていくとそこが旧ヘリポート予定だったグランドがありました。
向こう岸には岩国基地が見えました。雨模様のためぼんやりかすんでいました。晴れた日にはもっとはっきり見えるそうです。
雨が強く降り出しました
突然、雨が降り出しました。一同傘を取り出しました。改めて岩国基地方向を見ると、もう何も見えなくなっていました。
島の北側に回ると自衛艦らしき船影が眼に入りました
雨の中を傘をさしながらの行進となりました。道はやがて島の北側を西に向かって進むようになりました。北側の道はもう立派に成長した桜並木になっていました。
沖に目をやれば、自衛艦らしき船影。この海域は米軍機だけでなく、自衛艦も我が物顔で行き来しているんことがよくわかりました。美しい瀬戸内海の景色にはそぐわない光景でした。
大きな音を立てて去って行くホバークラフトが見えました
先の自衛艦から直接海上に出て水上航行しているように思われました。それにしても大きな音がします。これも住民には迷惑な騒音源のように思われました。
一周して港に戻り、地元の方から米軍機墜落事故当時の話を聞く加川さん
雨の中を黙々と歩いていたら、予定より1時間も早く阿多田港に着いてしまいました。雨の中、加川さん運転の加川号は何度も行き来して島めぐりの健脚向けコースに少しなじみ難かった何人もの“乗客”を輸送しました。大活躍でした。加川号の投入は大当たり、実に正確な方針でした。降り続いた雨もあがったので、加川さんは漁業協同組合の事務所の建物の下で地元の人に米軍機が何度も墜落したそうですねと話しかけました。そのときの様子を詳しく話してもらいました。
この家に墜落機の破片が飛んできたのです
傘をさしている人の向こうに位置する青い屋根の家が墜落機の破片が飛んできたという家です。米軍機は山の向こうに墜落したのですが、その破片が山を越えて飛んできてこの家に突き刺さったのです。その時、隣の部屋で子供さんが寝ていたそうで、ちょっと間違えば大惨事となるところでした。この事故以後、山には夜でも赤く光って山の位置を知らせる航空障害灯が設置されたそうです。
色鮮やかなアジサイ
迷路のような路地を入って行くと美しく鮮やかなアジサイが咲いていました
阿多田港の赤灯台でポーズの岸本さん
雨の中の島一周でだいぶんお疲れモードではあったのですが、元気を出してのポーズ。ガンバルゾ!


経小屋山から阿多田島〜岩国基地を観測
安佐南区安佐北区九条の会も加わる「九条の会安佐地区ネットワーク」事務局の一行
“岩国基地問題を考える阿多田島ツアー”(仮称)企画を成功させるための事前研究の一環として

3月3日(木)地上ではひな祭りの日でしたが、「九条の会安佐地区ネットワーク」事務局の加川・丸山・岸本・坂本の4人が経小屋山(標高596.6m…596.3ならゴクロウサンですがそううまくはいきません)に登りました。
朝9時に広島共立病院に集合した4人は車1台に乗って出発しました。広島インターチェンジから山陽自動車道に乗り大野インターチェンジで降り、県道289号線に入りました。標識に、「妹背の滝」とともに「経小屋山」が明示されていて迷うことはありませんでした。(ただし、ローマ字の表記が“kyougoyasan”となっていたのには驚きました…“きょうごやさん”ではなく“きょうごややま”のはずでは?
さて、道はクネクネとした細い道でしたが、ゴミ収集車の後にピタリとつけて上って行きました。どうもゴミの最終処分場があるようです。ときどき中央線もある整備された太い道になることがあったのがちょっとした驚きでした。道路の拡幅工事が細々と続けられてきている感じでした。4.5qほど走ったところで「経小屋山口」の案内に従って左折、道はさらに“心細く”なりました。
あたりは静かな森の中ですが、9時39分頃でしたでしょうか、突然、飛行機の爆音が聞こえてきました。一同「ムム、もしかしたら米軍機では?」と思いましたが、見上げても飛行機の影は見えず、確認できませんでした。道は概ね南に向かって続いていましたが、右に左に苦悶するかのようにクネクネとして、その上り坂も急になっていきました。9時50分頃ようやく頂上付近に到着しました。
頂上付近から宮島方面(宮島の弥山は標高535m…それより62mも高いのが経小屋山)を望む
“経小屋山”とは妙な名前だな…と思っていましたが、その答えは頂上にありました。頂上付近には平らなスペースがあり、東屋が置かれていました。その左手に右の写真のような「経小屋山の由来」と題する立て札が立っていました。以下に全文を転載します。
経小屋山の由来
人皇38代の天智天皇(626〜671)の頃、百済を援けた日本軍は、唐新羅の連合軍に白村江(はくすきのえ)で大敗した。爾来、壱岐、対馬、博多、馬関はもちろん、瀬戸内海の要所にも烽(とぶひ)台を設け、防人(さきもり)を配置し外敵に備えた。遣唐使船などは山陽本土沿いに航行したので、弥山よりも66mも高い経小屋山に物見台として適地だったし、防人が山頂で屯しても自然に湧き出る飲水があった。しかも巨岩が垂直に重なる難攻不落の砦であった。天智天皇在位の頃から一切経の写本が流行した。一切経は国内に伝播し各地に経塚、経小屋、経蔵、経祠、経堂が建てられた。大野の経小屋山でも、山頂に看視をつづける防人達が一切経を守り本尊とした。このため、経小屋山の名前が生まれたのではないだろうかと言われている。安政の黒船渡来の頃も、経小屋山は、五日市の海老山に呼応する火の山として緊張したこともあった。大野町

※ここで出てくる「一切経」というのは“お経の一切”というようなことでしょうか、仏教の経典の集大成したものを言うようです。
頂上付近からでは岩国基地〜阿多田島方面を見ることはできないため、100mほど南方に下り、そこから“中央展望台”に上りました。
そこからは眼下に宮島の全体が広がり、その向こうに大黒神島、小黒神島、阿多田島、可部島、そして右手には大竹の工場群から、その向こうの岩国市と岩国基地までが見渡せました。 岩国基地と阿多田島の関係、宮島とこの経小屋山との位置関係を立体的に感じとることができました。10時5分頃、また飛行機の爆音が聞こえてきました。??…あたりを見渡しますが機影は見えません。もう少し天気が良い日にここにじっくり腰を据えていれば機影をとらえることはできそうな気がしてきました。それにしても風が冷たい。
先ほどより空は次第に黒い雲で覆われてきました。北側から南に向かって雲が広がっているようです。岩国基地のあたりが次第にかすんできました。もう少し到着が遅ければ、この日の経小屋山登山の目的が果たせないところでした。「9時集合にして本当に良かった」と口々に言い合いました。
写真左の島は宮島、その向こうに阿多田島、右に大竹の工場群の煙、その向こうに岩国基地
そうこうする内に雪が降って来ました。北風に乗ってかなり本格的です。視界が見る見る内に悪くなってきました。もう一度「早く来てよかったね。もう少し遅かったら何にも見えなくなってしまっていた」と一同首を引っ込めながら言い合いました。悪くなった視界でも「あれが阿多田島、これが可部島、あれが岩国基地…」と確認する事務局の皆さんでした。阿多田島ツアー企画はどうしても成功させるとの熱意が伝わって来ます。

写真は雪の降りしきる中、岩国基地方面を指差す丸山さんと加川さん、その方向を見る岸本さん



広島医療生協沼田診療所長 西原医師と懇談(1月21日)
沼田・伴学区での九条の会立ち上げに向けて
1月21日午後3時半より、安佐九条の会事務局の坂本・西原の両氏は、沼田診療所で、西原所長と懇談し、伴での九条の会設立に向け強力な支援を要請しました。熊田事務長にも同席頂きました。
午前の診療がようやく終わったばかりの西原所長には、昼食もそこそこに懇談に応じて頂きました。そして伴での九条の会設立については会の世話人の引き受けや、会合の会場使用など全面的に協力する旨を表明していただきました。事務局からは協力への感謝を述べ、さらに将来の任務の交代があった場合でもこの趣旨をも引き継いで頂けるよう尽力をお願いしました。


九条の会安佐地区ネットワーク発足(12月4日)
11団体から代表が出席、憲法と平和めぐる情勢と、来年の取り組み計画で意見交換
12月4日、土曜日、午後1時半から、広島医療生協組合員ルームにて、安佐地区の11の団体(九条の会やその準備会、九条を守る運動をしている団体)から12名が参加して、表記の第一回会合が開かれました。
まず、組織の正式名称を「九条の会安佐地区ネットワーク」に決定し、安佐地区の九条の会相互の交流や協力を行っていくことが確認されました。また、同ネットワークの運営を円滑に進めるための事務局がつくられることになりました。
昨今の状況についての意見交換では、尖閣諸島の問題や、北朝鮮の砲撃事件の影響を受け、国内でも軍事的な対応を強めようとする動きや報道が強まっていることに懸念を示す発言があり、マスコミ報道を鵜呑みにするのではなく、真実の姿を見極めること、そのための学習を深めておくことの重要性も強調されました。
来年の取り組み計画については、従来から行ってきた学習・講演会の企画だけでなく、映画会や、ときには平和の問題に関連したバスツアーの企画も面白いのではという意見も出されました。事務局でこの日出された意見を整理した上で、次回のネットワークの会議(2月12日13時半)に企画案が提案されることになりました。


学習と交流のつどい開く(10月9日)
米軍機の低空飛行問題の認識を新たにした岡本幸信さんの記念講演「岩国基地と低空飛行と憲法9条」
「九条まつり」実行委員会は発展的に解消、安佐地区九条ネット結成を確認

映像を使っての記念講演に聞き入る参加者

2010年10月9日13時半より、安佐南区総合福祉センター5階、ボランティア研修室で、「九条まつり」実行委員会主催で、安佐南区や安佐北区の九条の会、およびその準備会の「学習と交流のつどい」が開催され、27名が参加しました。

記念講演
米軍の低空飛行の即時中止を求める県北連絡会事務局次長の岡本幸信さんの記念講演「岩国基地と低空飛行と憲法9条」では、冒頭、国会でも取り上げられた事件…2007年12月7日午後、米軍のジェット機が数百メートルの高度で凄まじい爆音を響かせて、西区の太田川下流から安佐南区、安佐北区に抜けた後、西から再び現われて権現山をかすめ、東区から呉方面に向けて飛び去ったことが紹介されました。
参加者は、米軍機の低空飛行問題は、特定の地域の話などではなく、この安佐南区や安佐北区も含む県民全体の問題であり、決して他所事ではないことなど認識を新たにしました。沖縄の普天間基地問題も、私たちの問題なのでした。
私たちの住んでいる地域の空で、そこに人など住んではいないかのように…『傍若無人』とはまさにこんな場合に使う言葉です…勝手に使い、他国を攻撃するための訓練が行われている実態が、写真や動画で生々しく示されました。お世辞でも「日本国民を守るため」という建前すらかなぐり捨てた、米軍のための米軍であり、米軍の為の基地であることがはっきり示されていました。アメリカと戦争状態にある国から見れば日本はアメリカ軍による攻撃に加担しているのだと鋭い告発がありました。

「安佐地区九条まつり」のまとめ
「安佐地区九条まつり」の坂本実行委員長は、5月、雨の中を320人が参加して成功した「9条まつり」のまとめを実行委員会でまとめた資料に基づいて報告しました。みんなで手分けして地道に取り組んだチケットの普及活動で1000人近い人に働きかけ、600枚を超えるチケットが普及できたことは重要な経験だったことを述べました。国民投票法が施行され、いわば「外堀を埋められた」下で、事実を知ることが重要であり、そのために学習の集会も大事だし、可部九条の会が結成されたように草の根の九条の会をつくって行くことも大事だと述べました。

質問に答える岡本幸信さん

参加者からも活発な発言がありました
安佐地区九条ネット設立
また、この地域の各九条の会の協力や交流、新しい草の根の九条の会結成を促進するために、また、「九条まつり」で得られた12万円余りのお金を有効に活用していくためにも、「九条まつり実行委員会」を発展的に解消し、安佐地区九条ネットワークを創設することを提案しました。ネットワークの事務局は、当面「九条まつり」実行委員会事務局が担当し、不十分な点があれば是正を図っていくことを提起しました。

意見交換、感想、交流
意見交換では8人から発言がありました。低空飛行問題の認識を新たにしたことや、どうも全ての問題は憲法で武力の使用や威嚇は禁止していることに違反する安保条約から来ているように思われるとして…安保条約について学習する機会を増やすべきではないかという提案もありました。可部九条の会結成の経験の報告や、高取九条の会結成に向けての抱負の表明も有りました。
安佐九条ネットの設立は満場の拍手で確認されました。



緑井天満屋前で“9の日行動”
全国いっせい行動に呼応して
9月9日、緑井天満屋まえで恒例の「9の日」行動が行なわれました。 この日は、安佐南区生活と健康を守る会、年金者組合、新婦人、広島医療生協か ら15名の参加で11時から12時の1時間「憲法9条を守れ」署名が 取り組まれまし た。この日は、全国各地の9条の会の呼びかけでいっせいに9条署名が取り組まれ ており、それに呼応しての行動でした。
安佐地区9条の会としてこのほど独自に作成した署名用紙もデビューしました。9月とは言え真夏のような太陽が降り注ぐ中、93筆の署名が寄せられました。こ の日初めて参加された生健会のAさんは、一人で25筆と大奮闘をさ れました。 来月9日は、署名行動の後、13時30分から安佐南区・安佐北区9条まつり実行委員 会主催の「学習と交流のつどい」への参加を意思統一してこの日 の署名行動は 終了しました。

「可部九条の会」誕生
7月31日午後、「可部九条の会」創立総会が津田診療所で開催されました。既に、37名の方々が会への加入を表明しています。
この日、可部の街道筋は注連縄で飾り付けられていました。まるで可部九条の会の誕生を祝うかのようでした。(実は、この通りをもう少し南に下ったところにある明神社の夏の大祭の日だったのです。明神社は251年の伝統ある神社で、市杵島姫命を祀り、可部の豪商の屋敷神だったものを、町を挙げて祭礼をするように発展したということです)
この日はちょうど20人が参加。定刻になり、石丸さん(呼びかけ人)の司会で総会が始まりました。石丸さんの向こうは、呼びかけ人の木山津田診療所長
呼びかけ人は以下の11人
石丸倍幸(広島医療生協老後を考える会可部支部長)
小笠原正信(民主文学会広島支部)
叶谷繁樹(原水爆禁止安佐北区協議会事務局長)
叶谷昌江(広島医療生協理事)
北村裕美(北村英数塾経営)
木山 茂(広島医療生協 津田診療所長)
清水貞子(原水爆禁止安佐北協議会 代表理事)
野路ミチヱ(元小学校教諭)
春木 強(社会福祉法人八木園施設長)
松本 真(原水爆禁止安佐北区協議会 筆頭代表理事)
山田鯉都子(広島医療生協可部支部長)
可部九条の会設立に至る経過を報告する藤代津田診療所事務長
NPT会議参加報告をする清水さん(よびかけ人)。ニューヨークでの署名活動の様子を話した後、戦争による苦しみを味わった祖母や父母の話を紹介、ヒロシマで生まれ育った者として、平和、核兵器の廃絶の運動は一生をかけて取り組むと決意を述べました。
藤代津田診療所事務長からの申し合わせの提案を拍手で承認しました。会の行動提起として、@可部九条の会「憲法を守ってください」署名に取り組む、A憲法九条の大切さ知り、ひろめていくための学習会を開くことを確認しました。
会の運営については、9名の世話人…木山 茂(代表世話人)、石丸倍幸、小笠原正信、叶谷繁樹、叶谷昌江、北村裕美、清水貞子、松本 真、山田鯉都子を選出、さらに事務局として、石丸倍幸・山田鯉都子・藤代幸司・屋敷誠司の4名を選出しました。
事務局の日常的な連絡先は、津田診療所(812−2048)とすることになりました。
可部九条の会のアピール案を読み上げる山田さん(呼びかけ人)。

「憲法九条を守れ」の一点で手を結び、共同の輪を草の根からひろげましょう
可部地区のみなさん
日本の良心と知性を代表する九氏は、2004年6月、「日本国憲法を守ると言う一点で手をつなぎ、一人ひとりができる努力をいますぐ始めよう」とのアピールを発表しました。これに応えて私たちは本日、「可部九条の会」を結成しました。
いま全国には7千5百の「九条の会」が結成されています。この広島でも86の「九条の会」が動いています。安佐南区・安佐北区では2007年3月「安佐南区・安佐北区九条の会(略称 安佐地区九条の会)」が結成されました。この会をはじめ、安佐南区や安佐北区の各九条の会により、今年の五月「安佐地区九条まつり」が開催され、320人の方が参加しました。可部地区からも多くの方の参加がありました。
政権交代、沖縄米軍基地問題、消費税の増税案などで危険な改憲の動きは表に出てはいませんが、この五月には改憲手続きを定めた国民投票法が施行され、改憲の動きは新しい段階に入っています。
「可部九条の会」は、みなさんに訴えます。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア核戦争、ノーモア被爆者」は広島市民共通のねがいです。「憲法九条を守り、日本を再び戦争する国へ後戻りさせない」というあなたの思いを、いまこそ声に、形にあらわして下さい。あらゆる立場の違いをのりこえて憲法九条を守る一点で力を合わせようではありませんか。
・一人でも多くの人に呼びかけて「憲法九条を守ってください」署名を大きく広げましょう。
・憲法九条の大切さを知り、ひろめていくための学習会を数多く開いて行きましょう。
これが「憲法九条を守ってください」署名の用紙
記念撮影をしました。
最後に、代表世話人に選出された木山津田診療所長が閉会の挨拶を述べました。
日本国憲法ができた当初は、もう二度と戦争は御免だということで、新しい憲法は国民の気持ちと合致していたのだが、今、必ずしもそういう状況でなくなってきている。マスコミも、公平を装いつつ偏った報道をして、戦争の悲惨さを述べることはあるものの憲法九条は変えて然るべきと述べる新聞も登場している。戦争などしてはいけないことは子供でもわかることなのに、それが通じにくい昨今である。だから学習を広げないといけない。それも文学、絵画、音楽なども大いに活用して、戦争の本質を問うなど、いろんな形でやっていきたい。



『心の内なる核兵器に抗して 被爆牧師のメッセージ』が出版
50年以上にわたり、
原爆の犠牲者たちの無念を胸に、
平和を追い求め続けてきた、
被爆牧師としての人生の総括!

著者は安佐地区九条の会世話人の一人である宗藤尚三氏(キリスト新聞社発行)
定価は本体1,200円+税
T 原子雲の下に生きて-私の被爆証言
U 被爆者の心的外傷(PTSD)の自己診断
V 平和を創り出す教会
W リメンバーとノーモア
X 原爆慰霊碑碑文の「過ち」とは何か-人間の心の内なる核兵器を見つめて
Y 「ヒバクシャ」であるということ
Z 私たちの平和的生存権を守るために-憲法九条と二十五条をめぐって
[ 世界の平和に対する宗教の課題
\ 北東アジア非核地帯と「核のない世界」を求めて



安佐地区九条まつりに320人…5月23日
5月23日(日曜日)、安佐南区民文化センターホールで、「安佐地区九条まつり」が開催され、前夜からの雨が降り続いている中を三二○人が参加しました。文化行事で盛り上がり(安佐地域の住民の文化水準を示したとの感想も有りました)、記念講演(平岡元市長のこういうお話は初めてだと大好評でした)を聞き、平和と憲法九条を考える機会になりました。安佐南区・安佐北区に十ある九条の会と三つの準備会の代表による同実行委員会が主催しました。

◆主催者を代表してあいさつに立った坂本裕実行委員長は、だるまさんがころんだ遊びのように既成事実を積み重ねて憲法解釈をねじまげてきた60年間の自衛隊の歴史を振り返り、明文改憲のための手続き法である国民投票法が施行されるこの五月に、「憲法九条を変えたらいけん」の一点で安佐地区に強くアピールする一大イベントとして「九条まつり」を計画したことを紹介、目に見えない壁を打ち破って運動を発展させようと呼びかけました。
「ビー・ハッピー」によるバンド演奏で第一部、文化行事の幕開けとなりました(ずいぶん上手くなったねぇとの声が上がっていました)
「G・キャロット」と「シャル・ウィ・コーラス」のみなさんが紹介された後、「シャル・ウィ・コーラス」のみなさんのコーラスが会場いっぱいに広がりました。
NPT再検討会議に要請代表団として参加した四人(清水・八木・櫻下・新宮原)から、現地での写真などを使って報告がありました。核兵器廃絶への熱い思いがあふれ、それが参加者に伝わりました。

「G・キャロット」の皆さんによるゴスペル…身体全体から出る歌声で会場が盛り上がると、カラフルな衣装に身を包んだ安佐地区のフラのサークルが次々に登場、南国ムードいっぱいのフラを披露し、参加者を魅了しました。
元RCCのスポーツアナウンサーで、カープ初優勝のときの実況中継を担当した上野隆紘さんが登場して、今から35年前のそのときの裏話を昨日のことのように楽しく紹介し、拍手に包まれました。最後に、プロ野球最初のMVPに選出された沢村栄治投手が27歳で戦死したのを始め多くの選手が若くして戦場に散って行ったことを紹介、今、カープに一喜一憂できるのも平和だからこそです、平和は壊れる時は早いと、平和を守ることの大切さを訴えました。(当時を思い出してなつかしく聞いた、最後に平和の話も入って、とても良かったと好評でした)
記念講演に登壇した、平岡敬元市長は、“先の戦争に協力して国民を不幸のどん底に陥れた報道の反省に立って出発したはずのマスコミだったが、自分はその一員として、どこまで取り組めたかじくじたる思いもあって、「マスコミ九条の会」や地域の九条の会にかかわってきた”と切り出しました。 “今の日本では憲法より日米同盟が上位に置かれ、日本は米国に従属的で安保至上主義になり、マスコミもそれに無批判だ。沖縄の基地が問題となっているときに合わせるように北朝鮮の問題が出て、抑止力の議論になっているが、これらのことに、マスコミは疑ってみる働きが必要ではないか。沖縄県民があれだけ燃え上がっているのときに本土の人たちは冷たく、そこがアメリカに付け込まれることになっている。NPT会議は、核兵器を持つ国が「自分たちは核兵器を持つ。核兵器の拡散は許さない」というもので、過大な期待はできない。今回も核兵器廃絶の期限を明記するなどの積極的な動きもあったが、アメリカは渋っており、結局は骨抜きにされるだろう。こういうとき日本政府が何の役割も果たしていないのは寂しい。産軍複合の権力構造の中、4分の3は企業献金に頼るオバマ大統領にも過大な期待はできない。アメリカに広島・長崎への原爆投下は誤りだったと認めさせるべき。日米安保からの脱却を図らねばならない。核兵器廃絶は当面の目標だが、核兵器を廃絶すればそれで平和になるというものではなく、核兵器廃絶の向こう、どんな社会を目指すのか、を見据えることが大切だ。飢餓、貧困、暴力などからの脱却が重要。今も戦前と同様に日本の空気には怖いものがある。長い物には巻かれろで、弱い所に攻撃を集中させる空気がつくられることがある。イラクの人質事件のときには人質となった人に「反日分子」という言葉まで浴びせて集中攻撃した。大切なことは、日本に異なった意見を認め合う真の民主主義を定着させること。力による平和の考え方を否定しなければならない。差別・貧困などの解決を図り、くらしの中から平和をつくることが大切。国家事業として本格的な原爆展を催して欲しい。”と、憲法九条とヒロシマを積極的に活かすことを呼びかけました。
フィナーレは、会場の参加者全員も加わって「青い空は」合唱。「♪青い空は、青いままで、子供らに伝えたい…」が会場いっぱいに響きました。


鳩山首相、新憲法制定議員同盟を退会
昨年秋、当会は、他の九条の会とともに、新憲法制定議員同盟の顧問を務めていた鳩山首相宛てに顧問の辞任を求める要請文を送りましたが、鳩山首相は、今年1月、同会を退会したことが分かりました。



可部、品窮寺で、平和のつどい開催…4月3日
可部の品窮寺で、医療生協の津田診療所が主催する「平和のつどい」が開かれ、地域の住民・診療所の職員など、34人が参加しました。

冒頭、主催者を代表して津田診療所の木山所長の開会の挨拶がありました。
続いて、八木在住の高野栄美さんが、1944年に15歳で海軍対潜学校に入隊して以降の戦争体験を写真や資料を使って50分間話しました。戦陣訓など、天皇のために死ぬことは名誉であり本望であると教え込まれたことや、戦争が終わった後も危険な機雷処理等の任務についた体験が報告され、国内外で多くの人びとを犠牲にした戦争を告発しました。おびただしい犠牲の上につくられた新憲法、特に憲法九条の意義が力説されました。
広島医療生協の可部支部の山田さん(支部長)より、この1年間の平和の取り組みが紹介され、この5月に開催されるNPTに参加予定の広島共立病院相談室の櫻下さんからNPTについて紹介があり、署名や募金の訴えがありました。
安佐南区・安佐北区九条の会の坂本事務局長が、核密約や普天間基地の問題で揺れ動く現状は憲法九条がないがしろにされているところに根源の一つがあるのではないかと問題提起、この状況を変え、憲法九条を輝かせるために、5月23日、安佐南区民文化センターで開催の「安佐九条まつり」への参加を呼びかけました。また、可部地域の九条の会をすぐにでも結成するよう呼びかけました。会場では早速参加チケットが4枚売れました。



みんな集まれ 平和の風に乗って
案内チラシ1万枚できました

表面 裏面
クリックすると拡大画像を表示します。
このチラシは、裏面に記載のお店・企業・団体の協賛をいただいたことにより完成しました。






共同声明「改憲手続き法の凍結・廃止を要求します          〜改憲手続き法施行予定の5月18日に際して」に賛同を表明

3月1日の事務局会議で、下記の共同声明に安佐南区・安佐北区九条の会として賛同を表明することを確認しました

共同声明「改憲手続き法の凍結・廃止を要求します
         〜改憲手続き法施行予定の5月18日に際して」
改憲手続き法(日本国憲法の改正手続きに関する法律)は安倍晋三内閣の下、2007年5月14日、参議院で強行採決され成立しました。「美しい国」「戦後レジームの転換」を掲げ、「任期中の改憲」を公言し、それを急いだ安倍内閣と与党の強引な採決でした。まともに審議が尽くされないまま、ひたすら改憲を急ぐために強行された同法は、多くの「附則」や「附帯決議」がつけられた、まったくの欠陥立法というべきものでした。 議論が先送りされ、附帯決議などで与党も不備を認めた同法の主な問題点は以下のようなものです。
@投票権者をどう規定するか (18歳投票権問題、公職選挙法や民法との整合性の保障)。
A国民投票の対象はなにか (憲法だけでなく、国政の重要問題についての国民投票の可否)。
B広報や広告など、メディアの在り方(議席数で広報の量の配分を決めてよいか、有料広告を認めると資金能力で宣伝に差ができる)。
C国民投票運動の自由に関する問題(公務員や教育関係者の政治活動、地位利用の制限などによって、自由な活動が制限される)。
D投票成立の要件をどうするか(過半数の分母問題や、成立に必要な最低投票率規程の有無)、
などなど。
当時、同法は世論の冷却をねらって「憲法改正の発議」や「国民投票」の部分の施行を3年間凍結されました。その結果、同法の施行(凍結解除)は2010年5月18日に予定されていますが、以後の国会では、ここにあげたような同法の附則や、附帯決議にもとづく検討や法改正は、まったく行われておりません。
09年6月、安倍晋三の意向を受けついだ麻生内閣により衆議院憲法審査会「規程」が強行採決されましたが、当時の野党が、委員の選出にも応じなかったため、衆議院審査会はつくられず、野党多数の参議院では「規程」の議論すら行われませんでした。憲法審査会は改憲手続き法成立後、2年9ヵ月、まったく始動していません。
この間、07年の参院選や、09年の衆院選で与野党議席数が逆転し、明文改憲の動きを推進してきた自公政権が下野するなど、政治情勢は大きく変わりました。またこの間の世論も改憲を要求していません。新政権は憲法問題ではなく、小泉政権以来の構造改革政策の転換、「生活が第一」を掲げて多数議席を得ました。新政権に有権者が期待しているのは改憲などではなく、「生活」問題の解決です。
強行採決され、改憲国民投票では国民の意思が正当に反映されないという点において多くの問題点を持っている欠陥立法は、5月18日がきても引きつづき凍結されるべきです。中身が伴わないままに「規定された3年が過ぎた」などという理由で、同法を施行するなどは許されないことです。
改憲手続き法は凍結し、いったん廃止にして出直すべきです。
以下、32団体の連名で賛同を呼びかけます。
アジア連帯講座/アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会/うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会/おんな9条の会北海道/憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた/憲法ひろば・杉並/憲法を生かす会/護憲ネットワーク(札幌)/市民自治を創る会/戦争への道を許さない女たちの会札幌/第九条の会ヒロシマ/東京空襲犠牲者遺族会/東京大空襲訴訟原告団/盗聴法(組織的犯罪対策法)に反対する市民連絡会/とめよう改憲!おおさかネットワーク/長野ピースサイクル実行委員会/日本山妙法寺/日本消費者連盟/日本YWCA/VAWW―NETジャパン/バスストップから基地ストップの会/ピースサイクルおおいた/ピースサイクル埼玉ネット/ピースサイクル全国ネットワーク/ピースサイクル新潟/ピースリンク広島・呉・岩国/ふぇみん婦人民主クラブ/プライバシーアクション札幌/平和を実現するキリスト者ネット /平和をつくり出す宗教者ネット/ユーゴネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会/(32団体)






鳩山首相に要請文送る
10月24日の世話人会で、新憲法制定議員同盟の顧問をつとめる鳩山首相に、その辞任を求める要請文を送付することが決定され、さっそく送付しました。その内容は以下の通りです。
 
内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿
新憲法制定議員同盟「顧問」の辞職を要請します
 第45回総選挙は国民の自公連立政権への厳しい批判を受けて、民主党中心の新政権が誕生しました。この新政権が、鳩山由紀夫首相のもとで、人びとの切実な要求と期待に応える政治をすすめていくかどうかは、国民注目の的となっております。  しかし、鳩山氏はさる2008年3月4日、改憲をめざす「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問に就任され、首相になられた後もなおこの職にあると聞きます。一方、憲法第99条は、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、憲法を尊重し擁護する義務を負う」としています。鳩山氏が、この「憲法尊重擁護義務」がよりいっそう厳しく問われる立場にある首相が、特定の憲法観をもって改憲を目指す団体の役職にあることは極めて不適切なものと言わなければなりません。  私たちは、鳩山首相が英断をもって直ちに同職を辞任することを公式に表明されることを要請致します。
2009年10月24日
安佐南区・安佐北区九条の会 




「学習と交流の集い」に26人が参加
10月3日、安佐南地域福祉センターで、安佐地区の各九条の会のみなさんによる「学習と交流のつどい」が開催され、8つの九条の会(高陽・協同診療所・音楽ファン・年金者組合安佐南・新婦人あさみなみ・老後考える会佐東支部・フラレインボウ・安佐南安佐北)と2つの準備会(伴・高取)から26人が参加しました。
  ◆最初に、広島医療生協副理事長で医療人九条の会の呼びかけ人でもある青木克明安佐南区安佐北区九条の会世話人より、「9条と平和をめぐる この1年」と題して、知覧から韓国などを含め、たくさんの貴重な写真を示しながら講演いただきました。被爆直後の様子の話の中で、兵士として使えそうな若者を優先して救援するようにしていたことなど、知っていそうで案外知らなかったことなどがたくさん出てきました。鳩山首相はまだ新憲法制定議員同盟の顧問職にありますが、同じように要職にあった福田康夫元首相は首相就任の時に辞任する見識があった話なども大いに参考になりました。
◆各九条の会の活動の交流が行われました。まだまだ運動の輪が狭く、参加者は“金太郎飴”状態のことも多く、各会で憲法九条を守る運動の輪をどうやって広げるか苦労している点で共通性がありました。
◆来年春の国民投票法の施行より前の時期に、広く安佐南区・安佐北区の住民の皆さんに強いアピールをする催し、それは集会かもしれないが集会とは限らない、そういう催しを各九条の会から実行委員を出して、知恵を出し合い、協力し合って企画し、成功させる提案が行われ、参加者一同の賛同が得られました。





安佐地区九条の会結成2周年記念集会が開催されました
■5月9日、祇園公民館ホールに96人が集まり、安佐南区安佐北区九条の会結成2周年記念集会が開催されました。

■13時少し前、参加者は「青い空」を合唱、これがオープニングでした。
事務局の加川勲氏が司会に立ち、集会の開催を宣言、国民投票法の施行を翌年に控えた今、北朝鮮のロケット発射やソマリア沖の海賊問題を利用して改憲への策動が強まりつつあることを告発、憲法第九条を守ることの一点で世論を広げることを呼びかけました。
■次いで村田事務局長が開会あいさつを行い、この1年間の会の活動経過を報告しました。
昨年来、地域できめ細かく九条の会をつくっていく方針で、まず沼田地区での会の結成の準備を進めてきましたが、
この4月、西風新都九条の会が発足したことを報告しました。引き続き全中学校区に会をつくっていこうと呼びかけま
した。

■会世話人の青木克明氏がパワーポイントによるプレゼンテーションで「九条の会」全国交流集会の報告をしました。











■修道大学名誉教授の岡本三夫氏による「世界の宝憲法九条」と題する講演がありました。
今の憲法はアメリカの押し付けだという人がいるとしつつ、そう、政府の上に君臨していたGHQにおしつけられたもの だとの話に、聴衆の耳が集まりました。岡本氏はそこで、当時の日本の状況にふれ、当時の日本人はほとんどがまだ明 治憲法の頭であり、憲法は自分たちの手でつくろうという考えは生まれていなかった。しかし、当時のGHQは民主主義 を定着させようという立場であり、国民にとっては嫌なものを押し付けられたということではなかったと。
岡本氏は、学生の頃からヨーロッパやアメリカなどに留学してきた中で遭遇した、暴力による衝撃的な事件の数々…ケ ネディ暗殺事件、アキノ氏暗殺事件、大韓航空機撃墜事件などを挙げ、その非道さを告発、それとは対比的に、非暴力 の力で生まれた出来事、ドイツのベルリンの壁崩壊、南アフリカ共和国の人種差別制度アパルトヘイトの撤廃などを挙 げ、憲法九条が示す非暴力は非現実的どころか、とても現実的な力を持っていると。国際的にも、1999年のハーグで行 われた第三回国際平和会議で決めた10の原則の第一番目に参加国の議会はその議会で日本国憲法9条にならって不戦を決議することを掲げたことや、昨年、幕張で開かれた9条世界会議でも世界中から日本の憲法9条が支持されていることを示した。
しかし、改憲勢力も巧妙な仕掛けを用意しており、油断ならないが、私たちは負けないだろうと。最後にアメリカの社会学者のマーガレット・ミードの言葉「世界を変えることができるのは思慮深い、不動の意思をもった少数の市民たちだということを決して疑ってはなりません。実際、そうした人びとだけが世界を変えてきたのです」を紹介して1時間の講演を結びました。

■休憩後、村田事務局長退任を受けて新しく就任した坂本事務局長が募金の訴えを行いました。会場に募金袋が回されると、3万7300円の募金が寄せられました。ご協力ありがとうございました。
■矢川光則氏が壇上に立ち、この日壇上に設置された被爆ピアノについて説明
しました。それによると、このピアノは1945年8月6日千田町(爆心から1.2キロメートル)で被爆しながら奇跡的に残ったものであるとのことでした。





■続いて、高校生平和ゼミナールから、二人の高校生が登場、5月3日の憲法集会、「マイライフ・マイ憲法」でミュージカルに出演したときの状況を話してくれました。手話を交えてそのときの歌を歌いました。






■権藤りほちゃんんによるピアノ演奏。曲名は「がけの上のぽにょ」
はじめは少し緊張していましたが、そのうち雰囲気にも慣れ、しっかり演奏できました。会場から大きな拍手がわきました。



■広島医療生協の音楽ファン9条の会の"Be Happy"によるバンド演奏(“少し前の若者たち”は、左から内田さん、品川さん、三戸さん)





■この日の参加者は96人。楽しい演奏に聞き入りました。







■最後は、各地の歌声サークルの皆さんが集まって、合唱でした。「ふるさと」「憲法九条五月晴れ」「翼をください」「ねがい」などを会場の参加者とともに歌い、そのままフィナーレとなりました。

写真は、被爆ピアノを舞台から下ろすところ。みんなで協力し合って集会が開かれたことを象徴するような場面です。












安佐南区大塚に“西風新都九条の会”誕生!!
◇4月7日(火)午前10時より、安佐南区大塚のAシティー管理事務所 小会議室に18人が参加して、“西風新都九条の会”設立総会が開催されました。
 西風新都九条の会の呼びかけ人は以下の9人の方々です。

【呼びかけ人】
◎岡本三夫(修道大学名誉教授)、◎尾野展昭(広島医療生協理事長)、◎西岸浄円(慈光寺住職)、◎大久保憲章(フォレスト在住)、◎坂本季美枝(フォレスト在住)、◎中澤正彦(花の季台在住)、◎森田伸子(ステージ在住)、◎村田 眞(ステージ在住)、◎寺本省三(下城ハイツ在住)

 設立総会は、呼びかけ人の寺本省三さんが司会を務めました。最初に、所用により出席できずなかった呼びかけ人の岡本三夫修道大学名誉教授から寄せられたメッセージを、同じく呼びかけ人の坂本季美枝さんが読みあげました。以下に全文を紹介します。


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「西風新都九条の会 設立総会を寿ぐ」
・・・・・・・・・・・第九条の会ヒロシマ・世話人代表
・・・・・・・・・・・広島修道大学名誉教授
・・・・・・・・・・・ 岡本三夫
◆このたびは「西風新都九条の会」の設立まことにおめでとうございます。大江健三郎さんや澤地久枝さんなど、日本を代表する9人の知識人によって2004年に設立された「九条の会」は、平和を希求する日本国民の圧倒的支持を得て全国津々浦々に拡がり、2009年3月中旬ですでに広島県内だけでも76団体となり、全国規模では7,300余の大集団になりました。いま、ここに県内77番目の「西風新都九条の会」が誕生しますことを衷心より寿ぎたいと思います。
◆国際紛争を武力や武力による威嚇で解決しない、陸海空軍その他の戦力は保持しない、国の交戦権は認めないという憲法九条の規範は21世紀を導くロードマップであり、世界も日本国憲法第九条に関心を寄せています。昨2008年5月に幕張や広島など各地で開催された「九条世界会議」にはノーベル平和賞受賞者を含む著名人が世界各国から来日し、大成功を収めたのも、日本国憲法第九条がいかに重要な人類の遺産であり、世界の宝であるかを物語っています。
◆戦前戦中の日本は戦争による国際紛争の解決を前提としており、男性はみな陸軍か海軍に入るのが当然であり、常識でした。今は違います。今は憲法の大原則が日本国民の間に浸透しており「戦争をしない国・日本」が常識になっています。米国でも戦争ばかりしていた共和党のブッシュ政権は国民の支持を失い、民主党のオバマ大統領が誕生しています。「戦争をしない国・日本」が世界中に拡がって「戦争をしない星・地球」が一日も早く実現するよう、力を合わせて頑張りたいと思います。
◆本日は「西風新都九条の会」の立ち上げと総会、まことにおめでとうございました。

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◇続いて、事務局長に選ばれた村田 眞さんが、西風新都の地図を広げその前に立って、自分の生い立ちから話し始めて、この「西風新都九条の会」の設立にこぎつけるまでの経過を報告しました。小学校ではなく国民学校の5年生のとき賀茂郡に縁故疎開していたとき、広島に原爆が落ち、自分とはほんのわずかの学年差で広島市内に残されることになった後輩の多くが亡くなってしまったこと、戦争が終わって、大人や先生たちがこれまで嘘を教えてくれていたことに怒りを感じたこと、2学期が始まってまず教科書に墨を塗らされたときの情けない気持ちなどの紹介から始まって、中学校の教員時代の話、退職してこのAシティに住むようになったことなどなど。「西風新都」この洒落た名前の地域、この大学〜小学校まで、学校も多い地域で、子供たちに平和の大切さを伝えないといけないと結びました。
◇司会の寺本さんが「申し合わせ」(全文は下記に紹介します)を提案すると、参加者は拍手でこれを原案通り承認しました。

◇続いて参加者の中から4人が次々に発言しました。それぞれ「西風新都九条の会」誕生を喜び、体験を通しての平和への思いと、会に参加して役割を果たしたい気持ちの表明でした。
終わりに村田事務局長が「生まれたばかりの会の財政を支えるため200円ほどの募金」を呼び掛けると、次々に応じられ、瞬く間に5000円余りのお金が集まりました。

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「西風新都 九条の会」申し合わせ
1.名称:会の名称は「西風新都 九条の会」とします。
2.会の申し合わせ事項
@目的:この「西風新都 九条の会」は2004年6月に日本の良心を代表する9人の呼びかけた「九条の会」アピールに賛同し、日本国憲法を守るという一点で力を合わせます。
A事業:この会は、思想・信条の違い、立場をこえて西風新都内の広範な人びとのなかで憲法九条の大切さを広げる取り組みを行います。
B会員:この会は、上記に賛同してくださる人で、この地域に居住し、学び、働いている人はどなたでも会員になれます。
C財政:この会の運営や取り組みに必要な財政は、募金その他でまかないます。
D運営:呼びかけ人、賛同者の若干名で世話人会を構成し、申し合わせにもとづく方針を具体化し、運営していきます。
3.事務局:この会の事務局は 村田 眞(安佐南区大塚西6-10-1-211 電話082-848-3104)が担当します。
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